Friday, August 31, 2007

イデア論的現実批判と抑圧の移譲構造


デリダが間違えたのは、不完全なものが知られるためには完全なものが想定されていなければならない、と考えたことだ。これは、完全無欠の理想たるイデアを虚偽と迷妄に満ちた現実に対比させたプラトンの思想に連なる考え方である。もっとも、老子や孔子も同じように、太古の昔に理想的な秩序が存在したのだという根拠不明・証明不能な想定に基づいて現実を批判していたから、こうした考え方は、とても普遍的なものだ。私は、「神と正義について」で*1、こうした考え方を否定した。概略、次のようにである。


実在するかどうか分からず、実在する可能性を証明できないような究極的な理想(神=正義)を想定した上で、それを批判の準拠点に措定し、理想との対比において、堕落した・蒙昧な・虚偽の・不道徳の・不正義の・不完全な現実を批判するという形式が、普遍的に採用されている。しかしながら、究極的に「正しい」真理・善・正義・神・世界・社会などがどこかに存在すると想定すると仮定したとしても、そうした究極的な理想の姿を描き、解釈し、それと現実との距離を測るのは、主観的であり不完全である特定の誰かでしか有り得ない。哲学、倫理学、社会理論、その他、いかなる装いを採ろうとも、これは結局、宗教が体現する形式に等しい。つまり、社会的な現実から遠く離れたどこかに究極的な理想を設定し、理想との距離に基づいて現実を批判するという手法は、客観的であり普遍的であるはずの究極的理想が、特定の誰かの恣意によって横領され、不完全な主観的理想へとすり替えられる危険を、常に有しているのである、と。


さて、こうした手法への批判を、もう少し卑近な問題に即して構成するとどうなるのだろう。かつて丸山眞男は、戦前戦中の「超国家主義」日本を分析する過程で、「抑圧の移譲による精神的均衡の保持」という構造を見出した。それは、全ての価値と規範の体系が、最高価値たる天皇からの相対的距離を規準として成立している社会体制であり、そこでは、最高価値に「相対的に近い」上の者から下の者へと抑圧が譲渡されていくようになっている。抑圧した者は上からの抑圧を下へと譲り渡したに過ぎないために、自らに対して主体的責任を感ずるところがない。そして、帰責対象の上昇経路を辿れば天皇がその終着点であるかと思えば、天皇でさえも皇統というより上位の伝統に連なっているに過ぎず、究極の最高価値の地位は抽象的・観念的な伝統によって占められるために、責任は最終的に霧消されてしまうしかない。丸山は、こうした抑圧の移譲構造こそ、近代的主体の存在しない日本社会の病理だと診断したのである。

この構造が、日本の特徴であって他では見出しにくいのかどうか、私には解らない。しかしともかく、単純に抑圧の移譲構造とそれによる無責任体制という部分だけに着目するなら、これは今でも普遍的に見受けられる。かつて姑にいびられた嫁は、自分が姑になったら嫁をいびるようになる。かつて上級生にしごかれた下級生は、自分が上級生になったら下級生をしごくようになる。それは、(丸山自身も経験したところの)入隊の早い者が遅い者をしごき、いびるという軍隊の姿と同じではないか。そこには、自分たちも上の世代からしごかれ、いびられ、さげすまれ、それによって鍛えられてきたのであるから、下の世代もそうした経験を持つべきであり、この「抑圧」は愛情の現れなのだし、彼らも時が経てば私たちに感謝するようになるさ、という「抑圧→成長→統合」物語が介在している、かどうかは知らない。だが、こうした若者批判論などにも見受けられる抑圧の移譲構造は、宗教に似ている。

そもそも丸山が分析した大日本帝国自体、宗教国家であった。価値の高低がそこからの相対的距離で測られる規準であるところの最高価値が、突き詰めれば皇統という実在も確かならない抽象的な観念に行き着いてしまう。それは、現実を規律・規制するための価値規準が、究極的には定かならぬものであることを意味する。つまり、ここでの規準はどこかに存在している/していたはずの究極的価値の「物語」、すなわち神話なのである。抑圧の移譲構造が宗教に近しいという意味がこれで理解できよう。そして、この神話は、プラトンが想定したところのイデア、老子・孔子が想定したところの太古の理想的秩序、デリダが想定したところの究極的正義、これらの物語と互換可能なものである。つまり、抑圧の移譲構造が宗教と似ているように、究極的理想を準拠点とする現実批判が宗教と似ているように、宗教に似ている両者同士も似ている。

抑圧の移譲構造においても、やはり究極的理想/価値の横領は容易に起き得る。下の世代をいびる上の世代は、自分たちが経験していないようなことであっても、私たちもこれを経験してきたんだ・私たちはもっと辛いことに耐えて頑張ってきたんだ、などと言いながら、それを下の世代に押し付けることができる。その時、上の世代は、より上の世代と下の世代との間に立って、継承されてきた「伝統」や「歴史」の解釈権を独占し、下の世代を抑圧する自らの行為を正当化しながら、行為の責任をより上の世代へと放り投げることができる。彼らは、最も理想的であるどこかの世代、あるいは最終的な帰責先となるどこかの世代(それが本当に存在したのか、物語られている通りだったのかは不明である)への「相対的近さ」によって、自己の正当化と責任の無化を為し得ているのである。

ここでは理想の横領が起こっている。あるいは伝統の、歴史の、価値の、何でもいい。ともかく何かが横領され、すり替えられている。時に何らかの要因によって「目覚め」て、「何故こんな時代になってしまったのだ」などとのたまいながら、同世代を、あるいは自分より上の世代をも、より上の世代の「理想の姿」を準拠点とすることで批判しようとする人間がいるが、彼は年齢ではなく「目覚めた」という体験によって他者と比べて理想への「相対的近さ」を手に入れたと信じているのである。もちろんそれは、彼の主観的解釈によって再構成された理想像に過ぎないのだが。しかし、思えば、人はいつもそのようにして、つまり恣意的に解釈されただけの主観的認識を理想として想定した上で、そこへの相対的近さによって自己を正当化したり無責化したり、他者を批判したり問責したりしている。

日露戦争頃までの明治の日本人を懐かしむ人も、それ以後から敗戦までの時代の精神を懐かしむ人も、戦後すぐの悔恨共同体≒平和と民主主義の精神を懐かしむ人も、安保闘争での「民主主義の勝利」を懐かしむ人も、全共闘時代の「闘争」における躍動を懐かしむ人も、市民としてべ平連に参加したことを懐かしむ人も、経済成長を支えたモーレツさを懐かしむ人も、バブル時代の華やかさを懐かしむ人も、皆どこかを理想として再解釈し、美化した上で、そこへの「相対的近さ」によって自己を正当化し、自己の地位を高め、他の世代や他の人々より優位に立ったつもりになって自己肯定感を味わっているのではないのか(あるいは、バブル後の就職氷河期世代も、10年後20年後、自分たちはあんな苦境に耐えたのに今の若者は…、と語り出さない保証は無い)。上の世代が、存在したのかどうか、本当に語られる通りだったのか分からない特定の時代を、理想として独占的に措定し、解釈し、そこからの遠さを以て下の世代を批判し、翻って「相対的近さ」を以て自己を肯定するのは、ずるい。そして、胡散臭い。やっていることは神のお告げに従って信徒の振舞いを正そうとする教祖と変わらないのだ。

こうした抑圧の移譲構造を排除するためには、特定の時点や特定の姿を理想として措定することを止めなければならない。世代間・時代間を同じ地平で捉える必要があるのだ。比較や優劣の評価をしてはならないということではない。どこかを絶対的・究極的理想として特権的な価値規準に据えた上で、そこからの相対的距離の遠近によって現実を評価ないし批判するという手法を採るのを止めなければならないと言っているのである。これはとても難しい。たぶん実現は無理だろう。学問の世界においても、究極的な「正しさ」は、私たちが生きている間には辿りつけないかもしれないが、必ずどこかにあるはずだと考えている人が多いのだし。そもそも宗教が無くならないことが、この手法を退けることの難しさを示している。仮構としてでも価値規準としての理想を設定することは便利だから、おいそれと捨てられる手法ではない。それに、人は自分を正当化し、肯定しないと生きていけないのかもしれない。まぁ、それでも批判することはできる。私はそういう道を行こう。


ところで赤木さんや後藤さんの主張も、ここ10年20年だけでなくて少なくとも戦後思想に対する評価や戦後に対する歴史観などが併せて示されるようになれば、もう少し射程と尖鋭さを増して一層面白くなるんじゃないかなぁ。とか、八月=戦争関連の思考との絡みで、いっそのこと戦後「平和」主義を全否定・総批判していくような形で論陣を張れば面白いのかなぁ、などと考えたりしつつ、このエントリの着想を得たので書いた。書きながら繋がればいいなと思ったけど、あんまり繋がらなかったので付記しておいた。


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