Saturday, April 25, 2009

かかわりあいの政治学5――臓器は誰のものなのか


承前

日本において、脳死者からの臓器提供は少なく、1997年10月から2009年3月まで81件(2)である。脳死提供者数は年間最大でも13名という状況である一方で、待機者は2009年3月31日現在、約12,400名(3)おり、国内での脳死者からの提供だけでは待機患者への移植の実施は非常に困難である。そのために海外に渡航し移植を試みる患者もいる。移植学会会員がいる医療機関へのアンケート調査では、2006年までに少なくとも522名が、米国、ドイツ、オーストラリア、中国、フィリピン、英国などで移植を受けている(4)ことが分かった。また、現行の臓器移植法では15歳未満の脳死者からの臓器摘出を認めていないため、小児受領希望者は国内での実施を望めない状況である。

このような中、2008年5月には、国際移植学会が「臓器取引と移植ツーリズムに関するイスタンブール宣言」(5)を発表し、移植ツーリズムを回避するために、各国は自国民の移植ニーズに足る臓器のドナーを確保すべきであると述べた。さらに、WHOは指針改正により、移植臓器に世界共通の通し番号をつけ、臓器売買を避けようとしている。指針は2009年5月の世界大会での承認を目指している。

このような、臓器の自給自足を求められている状況において、特に、日本国内での提供が認められていない小児受領希望者(の家族)は、海外渡航移植ができなくなるという危機感を抱いていると思われる。


臓器移植法改正の最新動向」@東京財団 政策研究



 昨年5月に移植医らで作る国際移植学会が自国外での移植の自粛を各国に求めた「イスタンブール宣言」を発表し、世界保健機関(WHO)も来月18日からの総会で、自粛を各国に促す新指針を採択する方針だ。現行法で臓器提供が可能な年齢を15歳以上としている日本は特に、小児患者の臓器を海外に依存してきたため、新指針が厳格に運用されると移植が不可能な状況になる恐れがある。

 そもそも小児患者への移植が国内で事実上閉ざされている問題は、1997年の臓器移植法成立直後から指摘されてきた。同法の付則にも「施行後3年をめどに」見直すとの記述があり、患者団体などは年齢制限を撤廃するよう求め続けてきた。

 現在国会に提出されている改正3法案のうち2案は年齢制限を緩和するものだが、いずれも国会提出は2006年3月で、すでに3年以上たなざらしになっていた格好だ。自民党の大島国会対策委員長も率直に、「国会の不作為が問われている」としており、自民党執行部が負い目を感じているのも事実だ。

[中略]

 三つある改正案はそれぞれ、どう違うのか。

 A案

 特徴は〈1〉脳死は一律に人の死〈2〉臓器提供者の年齢制限の撤廃〈3〉家族の同意があれば臓器提供できる――とした点だ。最も提供者が増えると見込まれ、15歳未満の移植も可能になる。

 患者らでつくる日本移植者協議会の大久保通方(みちかた)理事長は「この案が成立すれば脳死臓器提供は1年目で30例、3年目で100例まで増える」と試算する。21日の衆院厚生労働委員会小委員会で参考人として発言した旧国立小児医療研究センターの雨宮浩・元センター長は、「体が大きい子は成人の心臓を移植できるが、小さい子は海外に渡らざるを得ない」として、同案を軸とした改正を求めた。

 「これ以上、息子のような悲劇を繰り返してほしくない」。重い心臓病を患う1歳の長男に臓器移植を受けさせようと、米国へ渡ったものの、移植直前に亡くした横浜市の中沢啓一郎さん(37)は14日の患者団体集会でこう述べ、同案に沿った改正を訴えた。

 B案

 臓器を提供できる年齢を「12歳以上」とした。小児脳死移植についての理解が深まっていないとして、段階的に普及させる考えだった。しかし、「12歳以上では増える提供臓器はごくわずか」とする意見が多く、現在は同案支持を広める活動は退潮している。

 C案

 脳死定義を「脳全体のすべての機能が不可逆的に喪失した状態」とし、判定基準に「脳血流と脳代謝の停止」も追加する。現行法より厳しい内容で、臓器提供数は現状より減るのは確実だ。

 同案を提案した阿部知子衆院議員(社民)は、同案によって患者の治療法がさらに限定される点を問われると明言を避け、「乳児の拡張型心筋症の場合、ペースメーカーを使った治療で良好な結果も出ている」などと述べるにとどまった。

 A案の反対者は虐待されて脳死になった子供の臓器が提供されると懸念する。21日の小委員会でも、大阪医科大の田中英高准教授(小児科学)が「小児の虐待を見分けられると言っている小児科医は約1割しかいない」「小児の脳死判定基準では、脳機能が戻らないと断言はできない」などと述べた。

 これに対し、大阪大の福島教偉(のりひで)准教授(外科学)は「虐待を見分けることは臓器移植に限らず必要。脳死と診断された人の心臓が1年以上動いたとしても、意識が回復することはあり得ない」と反論している。


「臓器移植、なぜ改正機運…見直し案 3年以上たなざらし」YOMIURI ONLINE 2009年4月22日



 臓器移植法の今国会改正を目指す自民、民主両党の関係議員が作成している新たな改正案の概要が24日、明らかになった。

 臓器提供が可能な年齢の制限を撤廃する一方、脳死の定義は現行法のまま、移植の場合に限って「人の死」とする内容だ。すでに提出されている3案のうち移植範囲の拡大を目指す2案を反映した内容で、大型連休明けに公明党を加えた3党の有志で国会に提出したい考えだ。

[中略]

 新案では、臓器提供の条件も現在と同様、本人の生前の文書による意思表示と家族の同意を求める。ただ、新たに臓器提供が可能となる15歳未満の子どもについては、本人の生前の文書による意思表示は必要としないが、家族の同意だけでは虐待などの事態を見抜けない恐れがあると判断し、病院に倫理委員会などの設置を義務づけて審査させる仕組みを盛り込む方向だ。


「臓器移植の年齢制限撤廃、脳死定義は現状維持…法改正第4案」YOMIURI ONLINE 2009年4月25日


近時の臓器移植法改正論議では、海外に臓器を買いに行く「移植ツーリズム」は問題であるとの認識が疑われることのない前提とされているが、移植ツーリズムや、ひいては臓器「購入」そのものがどういう理由で問題なのかは、実はそれほど明らかとは言えない。医療行為一般が全面的ならずとも市場経済の内部に位置付けられる以上、一旦移植医療を認めたならば、形式はどうあれ臓器にも値段が付くのは当然の結果である。どこの国でもニーズに対してドナーが足りないとすれば、より高い金を支払える人間に臓器が流れやすくなる。一般に、経済行為について保護主義は良くないと言われるが、臓器資源の利用は国内で完結させるべきであるとの主張が説得力を持つのはなぜだろうか。同じだけ命が助かるのだとすれば、その人の国籍などどうでもよいことではないのか。自国内の移植医療によって延命されるのは自国民に限られるべきだ、との「臓器資源ナショナリズム」を尊重する理由など在るのだろうか。

ここで、救われる命が先進国の豊かな人ばかりになるのが問題なのだ、との反論が来るだろう。しかし、それが問題であるとしても、それは移植医療に限られる問題ではない。医療行為一般の市場性(対価性)の問題である(もっと言えば、貧富の差は一国内でも存在するので、その反論では「自由国際移植主義」を批判して臓器資源ナショナリズムを擁護する理由には弱い)。それについては、国を問わず貧困層の人々が適切な医療へのアクセスを保障されるよう、より総合的な観点から対策を検討する必要がある。それはそれとして、当座の話題である移植医療が特殊なのは、その市場性ではなく、ドナーの存在だろう。臓器移植や移植ツーリズムが行われることによって、ドナー側の生命・健康・尊厳が毀損される可能性が問題なのであって、それは臓器のやり取りに金銭が結び付くことが善くないことであるかどうかとは切り離せる話である。ドナーの自発的意思に基づいて安全に処置され、妥当な報酬が支払われることを保障する仕組みが整備されるなら、臓器売買を解禁する選択肢だって別に有り得ないわけではないはずなのだ(私自身は、臓器はおろか血の一滴たりとも提供する意思を持っていないけれど)。

もちろん、現実の移植ツーリズムに何の問題も無いと主張したいわけではない。それは人身売買と無関係ではないだろう。また、提供意思の「自発性」の内容・水準にも十分な注意を払う必要がある。このイシューについて私が多くを知っているわけではない。また、確定的な意見を持っているわけでもない。しかしながら、少なくとも日本の報道ベースでは、移植ツーリズムが具体的にどのようなプロセスによってどのような問題を引き起こしているのかが、ほとんど語られていないように見える。そのような論証が放り出されたまま、機械的な身振りで移植ツーリズムを退け、臓器資源ナショナリズムの無批判的な受容に基づいた法改正に突き進むことは、好ましくない。その反省的思考を欠いた場当たり的態度は、後に大きな禍根を残すことになると思われ、私はそれを憂う。


さて、以上の話は(今が時機なのでしたが)本当にしたかったわけではない。私が問題にしたいのは、臓器を云々する権限、あるいはその意思についてである。実際のところ、なぜ自分や他人の臓器を売買してはいけないのかは、よく分からない。これは別に自己(の身体に対する)所有権を認めるか否かには左右されない問題である。察するに、臓器を売買することによって引き起こされる(と思われている)事態が忌避されているのであって、臓器を売買することそのものが悪いわけではないだろう(多分)。何かを売ることができるのは、その人が当該の対象について、処分を決定する権限を持っているからだと、私たちは考えている。それは、いわゆる所有権の機能の一つである。別に売るだけの話ではなく、対象をどうするかについての決定権がどこにあるか、誰に握られているかが、重要なのである。そういう話を、私はしたい。

他人に臓器を提供するかどうかも、誰かが決めることである。誰かの意思によって決まることである。それを決める権限は普通、死ぬ本人の意思に握られるべきだと考えられている。なぜだろうか。本人だから――彼がその身体の所有権を持っているから――だ、と言うのは答えになっていない。なぜ「本人」は決めることができるのか。それは、決定される対象の成り行きに最も深刻な利害関心を持つだろう主体が彼だからだ、と。せめてここまで言わなければなるまい。とりあえず、これが少しは反省的思考を利かせた、ある程度は納得できる答えだ。

死ぬ本人は自分の身体の処分について深刻な利害関心を持つから、それを決められるべきだ、と。そういうことなら、臓器提供の際に家族の同意が一つの問題になることも、理解できる。死ぬ本人は死後の自分の身体についての全てを決定できるべきなのかと問えば、私たちは皆、そんなことは無いと答える。それは彼の身体の成り行きに大きな利害関心を持っているのは、彼に限られるわけではないからだ。そのような本人以外の代表的な主体が、家族なのである。だから家族は一定の発言権を持つと当然に考えられている。本人の決定権は、絶対的・排他的ではない。彼の身体に対して小さくない利害関心を持つ主体であるなら、決定に携わる「権限」が認められる余地は存在するのである。

ただ、そうは言っても、利害関心があれば、それが誰であっても、どのような利害関心であっても、その意思が配慮されるべきだと考えられているのかと言えば、そういうわけでもない。例えば日常的に子どもを虐待していたことが分かっている親の意思は、子どもの死に際して考慮するべきかを問えば、否定的な答えを為す人が多数だろう。つまり、「決めることができる」べきだとの判断の基礎になる利害関心の内容や程度は、何か別の基準に拠る判断によって左右されるということである。その基準が何であり、その判断がどのようなメカニズムによって為されるのかは――この連載の最終目的の一環を成す(と思われる)――探究に値する課題なのであるが、ここでは手に余る。それについては気長にやるとして、今は角度を変えて、もう少し話を進めてみよう。


脳死時の臓器提供について、意思確認カードなどの書面による事前意思の明示が必要だと考える立場は、決定権の重心を「過去の本人」に置いていると言える。決定が必要とされる時点で最も深刻な利害関心を保有している主体は明らかに「現在の(死に瀕している)本人」であると思われるが、その時点で彼には意思表示が概ね不可能である。権利は保有されるだけでも存在し得る――法哲学的には異説が在る――が、(作用ではなく)行使するには、そうする意思が必要とされる。そこで、「現在の本人」(あるいは「未来の(死後の?)本人」)と最も利害関心を共有している度合が大きいと考えられる「過去の本人」の意思を次善的に重視する。それが事前意思を尊重する立場の理路であろうと思う。

ところで、ある主体に決定権の重心が置かれるとは、どういうことなのだろうか。それは、その主体が持つ決定を左右する力が増すということである。つまり、権力を握るということだ。事前意思が明示されていなければ臓器提供ができない場合、権力の多くは「過去の本人」に握られている。「過去の本人」の意思――それは文書が不在の場合は推定でしかない――が「現在の本人」の意思と同じであるという保障は無いが、それでも(意思を表示できず権力が失われている)「現在の本人」に一定の権力を確保するためには、過去の自己に握られた権力を介するしかないと思われる。

これに対して、臓器提供を行うには家族の同意だけでよいとするのは、家族(+脳死判定および家族への意思確認を行う医師)の権力を飛躍的に強化し、過去・現在・未来を通じた本人の権力を決定的に弱める施策である。事前に家族と合意を形成しておくのは書面での意思表示よりも多くのコストが必要とされるし、事前の合意が覆されるリスクも生じる。このように、最も深刻な利害関心を有すると思われる本人から決定を左右する権力の過半を奪う法制度が正当化されるとすれば、その理由は何だろうか。

現下では、それは移植ニーズに対して臓器が足りていないという社会一般(とりわけ患者および患者家族)の利害であるようだ。しかし、顕在的な患者に対して、潜在的なドナー(候補)は圧倒的に多数であるはずなのに、前者の利害によって後者の重大な権力削減が比較的容易に実現し得るという事態は、いささか奇異に映らないことも無い。あくまでも潜在的に留まるドナー側の関心と政治力が弱いのに対して、患者側が顕在的かつ切迫した利害に基づく強固な組織・運動に支えられた強い政治力を発揮している結果によるものだろう。移植ツーリズムへの批判も、患者側および移植関係者の利害を通す道徳的テコの一つとして使われていると思われる。政治力も、道徳的訴求力も、権力の一つである。


潜在的な利害をどこまで政治過程の中に持ち込むことができるか、持ち込むべきかは難しい。それはそれとして考えることにするとしても、利害関心や権力(と他の何か)を中心とする幾つかの類の「かかわり」に着目すると、道徳的判断から政治過程までを貫通した形で「決定」を巡るあれこれを何らか整理して考えることができるということは、ひとまず示せたのではないかと思う。ちょっと長くなったが、今回はそういったところで満足しておこう。




Wednesday, April 8, 2009

いじめの構造


なぜいじめが起こり、エスカレートするのかについてのメカニズムを理論的に解き明かした良書。著者独自の概念が頻出することもあり、一般読者向けとしては歯応えのある方だが、内容はとても刺激的。

個人や集団の心理や行動が物理的・制度的な環境によって多分に構築されることを豊富な事例とともに解説しながら、「生態学的設計主義」の善用によっていじめを防圧することが可能であると説く。

狭義のいじめ研究を踏み越えて、教育制度全体の再設計や集団一般の全体主義的暴走のメカニズム解明にまで進んでおり、その射程は広い。提案されている個別の施策については吟味の余地があるとしても、著者の個人史にも踏み込んだ前著(『〈いじめ学〉の時代』)以上の密度を備えており、教育関係者には是非読んでもらいたい一冊となっている。

Saturday, April 4, 2009

世界を変えることはできますか?――社会科学的説教ないし説教的社会科学入門


10代の少年少女にふと、「世界を変えることはできますか?」と尋ねられたとして、私ならどう答えるか――。


できるかできないを訊くな。今の君には、そんなことを考える必要は無い。

本当に世界を変えたいなら、まず何をどう変えたいのかを考えることだ。何でそう思うのかをハッキリさせろ。

その次に、どうやったら変えられるのかを考えろ。そして、それを知るために勉強しなさい。」



もちろん、「できない」と答えてもいい。しかし、それは必ずしも正確な答えではないし、その答えで納得して引き下がるような相手なら、最初から答える価値も無い。誰かに「できない」と教わったら変えようともしない人間は、別に本気で変えたいとも思っていないということだ。そんな奴、真剣に相手にするだけ時間の無駄である。

世界を変えることはできない。変えることができるのは、自分だけだ*1。私たちにできるのは、自分の変化や行動を通じて世界に働きかけ、何らかの影響を及ぼそうとすることだけである。世界を変えようとすることはできるが、それで世界が変わるわけではない。ただし、私たちの行動が意図しないままに間接的な形で世界を変えることはある。その意味で、私たちは世界を思うように変えることはできないが、思いもよらない結果として変えることはできる。「できない」と言うだけでは十分に正確ではないと言ったのは、それが理由である。

このような考え方は、社会科学的な観点に拠っている。社会科学的な見方に基づけば、私たち一人一人が世界を(思うように)変えることはできない。世界(社会)の在り方は、個々人の意思や行動を超えたところで成り行くものだからである。


 さて、マルクスの説明は、だいたいこういうことだと言ってよいでしょう。社会の構造が自然発生的な分業の上に、つまり自然の成り行きのなかでひとりでにできあがってくる職業配置を土台としてうちたてられているとしますと、われわれ人間諸個人には、社会全体としてどういう人々がどういう割合でどういう職業に配置されているのか、そんなことはいっこう分からない。われわれに分かるのは、ほんの自分たちの周辺のことだけですね。社会的な職業配置の全体はさしあたってわれわれには無縁なことです。

 [中略]

 それでは、このような自然発生的分業の上に立っている資本主義社会では、どういうことになるか。われわれが見渡せるのは自分たちの周辺のほんの狭い範囲のことだけにすぎません。そして、社会をなして生産しつつある人間諸個人の活動の総体が、全体として、どういうふうに動き、どうなっていくのかということは、あるいはマルクス風に言いますと、どこから来てどこへ行くのかということは、われわれにはまったく分からないし、また分かったとしても、さしあたってどうすることもできないわけです。

 このようにして、経済現象は、元来、社会をなして生産しつつある諸個人の活動の総体にほかならず、そのなかにはいかなる神秘的なものも混入してはいないわけであるのに、その全体の動きは、そもそもその動きを作り出している人間諸個人自身にとって、自然現象と同じように、どこから来てどこへ行くのか、見通しがまったくつかないものとなっている。もう少し別の言い方をしてみますと、人間諸個人の活動とその活動によって作り出されたものが、、人間諸個人の活動とそれによって作り出されたものであるのにもかかわらず、当の主体である人間諸個人にとって、よそよそしい無関係なものとなり、まるで自然と同じように、われわれ人間諸個人の意志からは独立した客観的過程と化している、というわけです。


[大塚久雄『社会科学における人間』(岩波書店(岩波新書)、1977年)、82-83頁、イタリック部分は原文傍点(以下同じ)]


 群衆がなにかのきっかけで、なだれをうって動きはじめることがあるでしょう。このごろは交通整理が上手になりましたから、あまり見られませんが、昔はよくあったものです。そうそう戦争直後にも皇居前広場でありました。あそこで群衆がなだれをうって動き出し、そのために、押されたり転んで下敷きになったりして、大怪我する人々が出てきた。それで力の強い数人の男がスクラムを組んでそういう人々を助けようと頑張ったけれども、どうにもならなかった、という話も伝わっておりました。実は私も子供のとき、野球の試合を見物に行きまして、群衆の混乱の中に巻き込まれ、ひどい目にあったことがあります。昔の子供ですから、着物を着て下駄をはいていたんですが、足がもう宙に浮いてしまって、気がついた時には下駄も帽子もどこかへ行ってしまい、着物も目茶苦茶になっていて、あとでよくも生きていたなとお思いました。そういうことがあるでしょう。その群衆のありさまを想像してみてください。

 群衆がワーッと動き出すと、もうこれは手がつけられない。あのエネルギーはたいへんなものですね。では、あのエネルギーはどこから来ているかというと、すべて群衆を構成する人間諸個人自身のエネルギーだということは明白でしょう。それ以外の力というのはいっさい入っていないわけです。もちろん、倍化されているというか、ふだん出ないような力を出しているかもしれませんし、また、それが逆に混乱をいっそう大きくしてるかもしれませんが、とにかく群衆を構成する人間諸個人自身の力の総和だということは明らかです。

 ところが、私自身も経験がありますが、その混乱のなかに巻き込まれて、生きた心地もしていないような個人個人は、そんな混乱がいつまでも続いた方がよいなどと、誰も考えていないわけです。できることなら、早く静まってほしいし、でなければ、なんとかしてその外へ出たい。けれども、なんともしようがない。みんながただある方向に動くから、怪我をしないためには、それについて動くよりほかに道がない。ところが、みんながそれについて動こうとするから、その力がまた群衆全体の力に加わる。そして、すべてがそれを構成する個々人の意図とはまったく無関係に動いていく、というわけです。

 このばあい、考えてみますと、群衆全体が自分自身の力で動いている、というよりは、動かされている。群衆の一人一人はそんな動きをすることがいやでしようがない。そんな気はぜんぜんない。しかも、自分たちの力の総和が自分たち自身に対してまったくよそよそしい、疎遠なものになってしまっていて、逆に自分達をあらぬ方向に押し動かしていく。これがいわゆる「疎外」現象なんですが、とにかくそのなかでは、人間はもはや人間らしく主体であることをやめて、物とまったく同じに客体となってしまっているわけです。群衆を構成する一人一人が、崇高な理想をもつ人であろうと、狡猾な利己主義者であろうと、また、どんなに親切な人であろうと、逆にどんなに意地の悪い奴であろうと、そうしたことは全部混乱のなかで消えてしまって、ただ人々は物のようになって動いている。いや、動かされている。


[同書、84-86頁]


世界と言っても、社会と言っても、究極的には一人一人の人間によって構成されているのだから、少しずつでも一人一人の意識が変われば、それによってわずかずつでも一人一人の行動が変われば、いつかは世界/社会を変えることができる。こういった考えは、社会科学的見解と決定的に対立している。


が、スミスのホッブズ批判には、その奥にいま一つ重要な着想があります。それは、人間理解から直接に社会体の構造は解明できないということです。

 こういうことです。社会現象は、人間が引きおこす現象ですから、人間の行動を別にしては、社会体の運動なり、構造は捉えられない。このことも事実です。が、無数の人間の行動は、織り成されて、各人が意図したものとはまったく別な結果を生む。大塚(久雄)さんのうまい例を使わしていただくと、雑とうから逃れようとする一人一人の意志的行為が、結果として巨大な一人歩きをする集合力を作りあげて人間を殺すことがある。だから、人間の目的設定や行為をぬきにして社会現象を語ることはできぬとしても、目的設定そのものから直接に社会現象を説明することはできません。逃げようとしたから巨大な集合力ができたんだが、殺そうと思って行動したわけではありませんからね。

 スミスは、人体の説明にあたっては、胃袋が人体保存のために意識して消化活動を行うなどという考えを持ち出す者はいないのに、社会体を説明しようとなると、たちまちこの種のばかげた説明をする。つまり目的原因と作用原因を混同してきた点に、すべての従来の道徳哲学の間違いがあった、といっています。


[内田義彦『社会認識の歩み』(岩波書店(岩波新書)、1971年)、167-168頁]


しかし、それでも人は変えようとして行動するし、その行動が様々に組み合わさった帰結として、世界は(思いもよらない方向に)変わっていく。社会科学は、その行動と変化のメカニズムを解明しようとする営みである。社会科学が単なる個人の集積や総合としての意味を超えた存在としての社会(世界)を扱うからといって、そこにおける個々の主体の振る舞いを軽視するわけではない。それはこの学問体系の成り立ちからしても明らかである。


 社会科学は経験科学である。それで社会科学が一つの科学として成り立つためには二つの条件が必要である。第一には人間が物事を考え、自分自身の行動や生活の基準を立てるのに、なによりも人間自身のたしかな経験によろうとする態度である。これは観察と実験によって物事の法則を明らかにしようとする態度であって、まず自然科学がこうして生まれてきたのである。社会科学もこの点においては自然科学とまったく同じである。つまり人間が人間以上の力、たとえば自然の威力であるとか、人の運命であるとか、そういったものの支配に忍従し、甘んじているのではいけない。そうではなくて、自然の環境を自分の生活に役立たせたり、自分で自分の運命を切り開いたりしようとする意欲をもつようになってはじめて、自然科学とか社会科学とかいったような経験科学というものが生まれてくるのである。これは一言でいうと、人間が自分自身の立場を自覚するようになったことである。人間が人間以上の力にたいしてその主体性を確立したことである。そしてこれがちょうど資本主義体制の成立の時期になってはじめて可能となったのである。

 社会科学が科学として成立するための第二の条件としては、社会そのものの側における大きな変化ということがあげられる。社会に大した動きがなく、人々の関係も長い間固定していて、したがって習慣や風俗や人々の考え方の上にたいした変化がないような時代においては、社会の秩序というものは人々にとりはじめから与えられたものである。人々はただそれに順応することしか考えないであろう。ところがこの秩序が破れて社会が動的となり、人々の社会関係の上に大きな変動が生ずるような時代になると、社会生活にたいする人々の関心が急激に高まってくる。古い秩序や制度の枠の中でもはや処理することができないような出来事がつぎつぎに起るようになると、人々はその対策を講ずるために自分自身の手でその原因を研究し、進んで自分自身の運命を切り開きたいと思うようになる。政治とはなにか、経済とはなにか、法とはなにか、国家とはなにか、社会とはなにか。こうした問題が様々な形をとり、いろいろな事件と結びついて論議されるようになる。[中略]

 もう一度要約すると、社会科学が科学としての成立をみるためには、第一には人間自身の側における変化(人間の主体性の自覚)と、第二には社会そのもの側における変化(社会生活の動態化)とがまず起らなければならない。この二つの変化はたんに変化というにとどまらないで、一つの変革であり、革命である。社会科学が成立するためにはその主体である人間の側と、その客体である社会の側との双方に革命的な変化が起らなければならなかった。そしてこれらの二つの変化は相互に結びついて行われ、相互に促進しながら進んでいった。


[高島善哉『社会科学入門――新しい国民の見方考え方――』改版(岩波書店(岩波新書)、1964年)、71-73頁]


では、社会科学的認識とは、結局どういうことなのか。それは部分と全体、ミクロとマクロ、可能性と所与性とが、互いに結び付きつつ相克する現実の中に生きる人間の姿をそのままに把握するということである。


人間はたんに盲目的な必然の法則によって縛りつけられているだけでなく、この必然の法則を認識して自分な世界を作り出すことができる。この自由な世界とは、物質に対する精神の世界、あるいは自然に対する文化の世界だというので、社会科学のことを精神科学とよんだり、あるいはまた文化科学とよんだりする人もあるのである。自然には意志というものがない。社会にはそれがある。社会の意志というのは、これを構成している人間集団の意志であり、人間集団の意志というのは、さらにこれを構成している個々の人間の意志である。つまり社会に意志があるというのはこれを構成している個々の人間に意志があるということにほかならない。ところが物質を構成している分子に意志があると考えることはもちろんできないし、肉体を構成している細胞に意志があると考えることもできない。比喩的に説明すると、社会という肉体においてはこれを構成している個々の細胞に意志があって、それぞれの考えで自由に動いている、つまり行動しているのである。

 これはたしかに非常にたいせつな点である。けれどもさらに考えてみると、人間がそれぞれの考えをもち、自由に行動するものだといっても、人間は常に一人で生きていくことはできない。常に集団のなかで生活しなければならない。国家機構や社会組織をはなれて自然のままの生活をすることはできない。もしそんな生活があったとすれば、それは人間の生活ではなくて動物の生活である。人は生まれ落ちたとたんに家族の一員となるし、その家族はある国家、ある社会組織のなかの一員であって、政治的、法的、経済的、倫理的に一定の枠の中にはめこまれている。人間は生まれ落ちたとたんからそういう枠のなかで教育され成長するわけである。今日のように発達した複雑な社会のなかでは、手ばなしの自由というようなものは白昼の夢でしかありえないのである。


[高島前掲書、135-136頁]

市民は自由である。しかしそれは人間として自由なのである。けれども彼が市民として現実に社会のなかで生活しようとしたとき、彼は政治的、経済的、法的、心理的、倫理的にいろいろの束縛を受け、自分一個の力ではどうにもならない大きなものの力を感じないわけにはいかない。これが市民社会の現実なのである。

 ところがこの市民社会はどうしてできたか。それはやはり人間自身によって作られたものではなかったか。封建体制の胎内で育まれながら、それを乗り越えて進もうとする新しいタイプの人間、すなわち近代的な市民の手によって作られたものではなかったか。

 このように考えてくると、私たちには社会における人間の自由と必然の関係がけっして一方的に一面的にのみ理解されえないものであることがわかるだろう。人は社会によって作られながら逆に社会を作っていくものだといわれる。人は自らに背負わされた社会的必然の法則を認識しながら、逆にこれを利用し善用することによって、必然の法則を自由の法則に高めるものだともいわれる。[中略]市民革命は人間の偉大な歴史的行為である。人間の自由意志の沸騰した場面である。けれどもこの市民革命そのものがまた、絶対主義の矛盾から生まれ出た歴史的社会的必然だったのである。


[同書、137-138頁]


社会科学は、意志と規定の間におけるこの循環を見なければならない。そして、このような循環、あるいは二面性の中に、社会科学の役割も見出されることになる。


 マキャヴェリが書くのは、直接には、君主たるものが政治をするための忠告ですが、同時に、普通の人間への忠告でもある。人間がそのなかに生きている環境の、リアルな把握による環境の操作ということです。それをマキャヴェリは、ヴィルトゥとフォルトゥナという伝来の考え方を加工しながら説明します。

 フォルトゥナ、運命というのは、人間の外にあって、あるいは彼を助け、あるいは彼に襲いかかってくる、そういうものです。人間はつねに運命に包み込まれていて、その外に出ることは絶対にできません。ヴィルトゥというのは、徳、ヴァーチューと訳すとなんかこう温厚な人柄を指すように聞こえてまずいんですが、そうではなくて、幸運をすばやく受け取る、あるいは襲いかかってくる運命を投げ飛ばし投げ飛ばし操作する、そういう主体の働きであります。


[内田前掲書、51頁]


 歴史というのは人間の意志を越えてどうしようもなく動くというのも歴史の見方で、そういう歴史観が重みをもっていまだに生きているのも、それなりの理由がある。歴史の一面としてそれは確かに事実なんだが、別の観点からすれば――つまり自由な主体として、自分の運命を何とか開拓せんならんという観点に立てば――、歴史から別のことを読み取ることもできる。つまり、一つの歴史的事実というのは、半分は運命、半分は人間がそれを操作した結果だと見る見方のほうが、より正しいんじゃないか。伝来の運命観をくつがえす事例は歴史上いっぱいある。こういうわけです。

 この半分という言い方は少々変で、文字どおり受け取りますと、ここからここまでは運命、ここからここまではヴィルトゥの所産というふうに聞こえます。しかし彼の言うことは、運命は完全に一人歩きをしているんではなく操作すれば変えられる、そこに人間の自由があるということです。運命は読みかえられる。もっとも、運命は読みかえられるといっても、読みかえられた運命はやはり残るわけですから、そういう意味では、実際の歴史、あるいは人生というのは、すべてが運命のしわざでもあるし、すべてが運命を操作した結果でもある。

[中略]

 運命というのは、こういうふうに人間に絶えず襲いかかってくる存在であって、それなしには、人の、あるいはある国の歴史は考えられないんだが、その運命はまた逆手にとられる存在でもある。逆にいえば、運命を逆手にとるのが自由な人間、直接には、君主たるべきものの徳たるヴィルトゥである。こういうわけです。そのためには、運命について先手をうつ形で正確に知る必要がある。知らなければ操作できない。


[同書、53-55頁]


社会科学は世界を変えることが不可能であると教えるけれども、「世界を変えたい/変えよう」と思うことには、社会科学から見て重要な意味がある。それは一方で自己や世界に働きかけることで何らかの「社会現象」の構成要素の一つとなっていく姿、すなわち社会科学が解明しようとする対象(客体)の一面を見せていると同時に、世界を変えるためにはどうすればいいかを知ろうと世界の成り立ちや変化のメカニズムについての思考に近づくことによって、自身が社会科学の眼差しを獲得し得る萌芽的主体としての側面を現すことだからである。


 社会科学的認識の目がわれわれのなかで育ってくる最初の結節点は、われわれ一人一人が決断という行為に迫られることです。決断、賭けということがあって、はじめて事物を意識的かつ正確に認識するということが、自分の問題になってきます。[中略]

 賭けるということと同時に客観的認識が出てくるというと、不思議に思われる方もあるかと思います。日常語の語感では、賭けというのと、客観的認識というのがずれているからであります。賭けといいますと、およそ合理的なものがないというふうに考えられますし、客観的認識、あるいはとくに合理的計算などといいますと、非合理なものがおよそ含まれないというふうに考えられています。しかし賭けるということは本来知っているからこそ賭けられるんであって、でたらめに賭けるのは賭けではありません。

 電車に乗っていますと、競馬新聞を一生懸命に読んでる人をよく見かけますが、競馬でも、あの馬はどろ沼に強いんだとか、騎手がどうだとかを知って、はじめて賭けができます。たくさんの競馬新聞を抱え込んで比較研究をする、というのは少々オーバーかもしれませんけれども、違った競馬新聞はそれぞれ違った予想を立てている。そういう違った予想が立てられるのは、それ(予見)に必要だと思われるデータと、そのデータの組み合わせ、あるいはウェイティングの違いというものが、そこにあるからでしょう。そこで予想が違う。それぞれ違う予想をのせた新聞を照らし合わせながら、そこに含まれている諸事実を、なんとか自分なりにつかみ整理して賭ける。それでなければ賭けといったって、要するに偶然に身をまかせるに過ぎない。知って知って知り抜いたうえ、やっぱり最後に賭ける。それが賭けであります。事物の認識が深まれば深まるほど賭けらしい賭けができる。逆にいうと、深い賭けが出てきて、はじめて、主観とか希望的観測ではなくて、客観的な認識が自分のこととして出てきます。


[内田前掲書、44-45頁]


だから、真剣に世界を変えたいと思っている相手にこそ、「じゃあ勉強しろ」と言わなければならない。社会科学の岸へと架橋してあげなければならない。もちろん、社会科学なんて学んだところで、世界を変えることはできない。しかし、それは少なくとも自分を変えることにはなる。世界を眺め、世界に働きかける主体としての自己を変革する助けにはなる*2。世界を変えるために勉強するなんて、今すぐ直接に行動を起こすことから逃げるための言い訳でしかない、と思う人もいるかもしれない。それはそうかもしれないが、「勉強なんかしている場合じゃない、とにかく行動だ」と言うのも、煩わしい学びの作業から逃れて楽をしたい自分を肯定するための言い訳に過ぎないということでは、何も変わらない。それなら、学びを通じた自己変革を経験できる分だけ、勉強する方がマシだろう。

もちろん、何度でも言うが、世界を変えることはできない。賭けをするためには客観的な認識が必要とされる。そのためには学問が役に立つ。世界を変えようとするなら、学ばないより学ぶべきである。しかし、世界(社会)の中では、誰もがそれをしている。誰もがそれぞれの客観的認識の下に、賭けをしている。そうした個々人の行動が織り合わされた結果として、世界は思いもよらない方向に変化していく。その構造は、決して変わらない。だから、世界を変えようとする若者が社会科学に導かれたとしても、彼はいつか必ず挫折や絶望を経験することになるだろう。

だが、それでいい。重要なのはその先である。思うようには変えられないと解った上で、どうするか。何ができるか。そこで絶望に沈んで終わりになるのなら、彼の意志はその程度だったと言うほかない。どの道、何もしなくても世界は何かしら変わっていく。そのままの姿が持続することは有り得ないし、持続させるためには何かが変わらなければならない。だから、世界を変えようとすることは悪いことではない。変えようとして行動したこと(あるいはしなかったこと)が、結果として世界を良くするかもしれないし、悪くするかもしれない。それは誰にも分からない。どこかで跳ぶしかない。賭けはどこまで行っても賭けである。他人と予想を擦り合わせることはできるし、科学にとってそれは決定的に重要だが、一緒に賭けることはできない。賭けはあくまで、個々別々の主体によって行われるしかない。そこで賭け金になるのが、何を・どのように・なぜ変えたいのか、という原初的・根底的意志なのである。


 主体の自覚があって、ものごとのリアルな認識が出てくるということは、われわれのなかで社会科学的認識が育ってくる場合に、あらゆる時点においてもっとも基礎的なことと私は思いますが、ただそれだけに抽象的で、それだけではまだ社会科学的認識とはいえない。事物をありのままに見るということは、実はなかなか複雑な手数がいるので、抽象し組立てる、こういう操作で、事物の関連というものを体系的に見る。ここではじめて、少なくとも社会科学的認識ということができます。

 そこまで認識が深まってゆくためには、主体の側の自覚もやはり深まってゆかなければなりません。つまり従来の制度をそのまま受け取っておいて、そのうえで単なるハウ・トゥとしてのヴィルトゥを考えるんじゃなくて、制度そのものを考える。なぜそういう制度が必要なのかをあらためて考える、そういう主体になってゆかなければならない。つまり制度のなかで「主体的に」考えるのではなくて、制度そのものをつくり直す主体に、社会の成員のそれぞれがなってゆかなければならん。われわれ人間が制度を創るんだということになって、はじめて、社会についての体系的な学問が出てくる。


[内田前掲書、72頁]


しかし、社会科学の体系が出来ても、体系そのものがわれわれの眼に代わってものを見てくれるわけでは決してない。やはり体系を使ってわれわれの眼で見なければならない。体系をどう使うか、体系を使ってどう見るか。それは一人一人の賭けです。[中略]一人一人が社会の創造、あるいは社会科学的認識の創造に参加するというのでなければ、社会科学は形骸化します。一人一人が賭けをする存在でなければならんという社会科学的認識の第一歩は、つねに生きているわけです。


[同書、115頁]


つまり、社会科学的認識の真価はいつも、世界をどう変えたらいいか、どうやって変えたらいいかという「決断」と結び付いているのであって、それゆえ社会科学を活用する主体の振る舞いの中には、世界を変えたい/変えようとする意志が常に生き続ける。少年少女ができるかできないかを考えるべきではないと言うのは、そういうことである。可能性などは重要ではないのだ。世界の成り行きを最終的に決定するのは、変革の可能性についての算術ではなく、その算術を超えたところで露出する変革の意志の交錯なのだから。だから跳べ、と。だから賭けろ、と。そのために学べ、と。それだけを伝えればよい。






*1:実は、これも難しい。

*2:実際、大学に入った18歳から大学院の修士課程を卒業した24歳までの間に、世界に対する私の見方は随分変わった。


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