Monday, December 13, 2010

ステークホルダーの両義性――あるいは政治主体としてのステークホルダーについて


数ヶ月前に私は、「ステークホルダー・デモクラシーの可能性」なる文章を公表しました。十分だったかどうかは分かりませんが、そこでは、経営学でのstakeholder theoryの文脈を押さえつつ、stakeとstakeholderの語源・語義を簡単に整理して、「公共化された利害関係者」としてのstakeholder概念のニュアンスを明らかにしたつもりです。

その際の意識は主に、「ステークホルダー」なる新奇な言葉を使うことに懐疑的な人への説明にあったのですが、その後、事業仕分けを巡る議論などを眺めていると、むしろステークホルダー論を積極的に振り回すようなタイプの人々にある種の怖さを覚えるようになりました


stakeholder theoryは元々、企業の活動から影響を受け、企業に対して重大な利害を有しながら、意思決定への影響力を持ち得ない主体を再定義する所から出発しました。stakeholderはstockholderと対比される形で概念化されましたが、その内部に株主を含んでいます。したがって、ステークホルダー論は本来、単に組織や集団がその外部に広がる社会への応答性を高めねばならないというだけの話ではなく、組織・集団の内外を問わず、重大な利害関係を有する主体を決定過程に包摂し、内部化すべきであるとの主張を含んでいます。そこで包摂すべき主体として概念化されたのが、「ステークホルダー」です。

ステークホルダーが決定過程に内部化されるべき主体であるということは、決定はステークホルダーに委ねられる、ということです。つまりステークホルダー論には、(1)組織・集団の社会への応答性を高めると同時に、(2)その社会から区切られた特定のステークホルダーには特別の地位や権限を認める、という二重の含意が最初から伴っています。もちろん、その特別性は、決定過程を担うべき主たるステークホルダーの外部に拡がる、周縁的なステークホルダーとしての社会への応答性に担保されなければなりません。しかし、それでも基本的には、ステークホルダーと認識される主体には自律的な地位が与えられて然るべきなのです。

ところが、組織・集団の社会的責任を問う文脈でステークホルダー論が人口に膾炙するにつれ、特定の組織・団体に割り振られている特権・利権を社会の側が剥奪する(分捕り返す)、といった類の話へと矮小化・意味変換がなされつつあるのではないか。事業仕分けに象徴的なのですが、近頃そのような印象を覚えることが多いです。社会的責任や社会貢献といった言葉が、(財源問題をテコにしながら)薄く広い利害のために、濃く強い利害を持つ特定部分から何かを引っぺがしてくるために用いられるとすれば、それはステークホルダー論の逆用と言うべき事態であり、そのような誤解釈は避けられなければなりません。


事業仕分け的なものは評価が難しいのですが、少なくともそのポピュリスティックな部分というのは、過去の権力構造への反動として現れているもので、個別の事業に対して薄く弱い利害しか持たない「社会」や「国民」が従来の利益配分を蹴散らすことができるのは、権力構造の変容が、彼らにその権力をもたらしたからです。従来の偏りに対する批判が別方向への偏りを生むのは避け難い面があるとはいえ、ニーズ自体は変わらず存在しているのですから、分捕り返しへの執心は止めて、適切な利益配分を為し得る枠組みの構築を考えるべきでしょう。

権力は、集合的で匿名的な「国民」にあります。彼らは、何に対しても薄く弱い利害を持つ周縁的なステークホルダーとして存在します。しかし、その内部を貫いて共通する利害は「財源」などに限られており、利害に見合わない大きな権力が持て余されているように見えます。そうであるならば、その権力は、個別の単位や政策領域ごとにステークホルダーへと分割・移譲されるべきではないでしょうか。ステークホルダー論は、既存の権利義務関係に限られない利害関係の実態に即して、決定過程を再解釈へと開くものです。利害と権力の非対称性を問題にして、利害に応じた権力の配分を求めます。もしステークホルダー論を振りかざそうとするのなら、匿名的な「国民」が直接関与する段階を限定する方向へと舵を切るべきでしょう。


若干くどくなるかもしれませんが、もう少し大きな構図の中で話してみます。グローバルな相互依存を前提に、企業の経済活動が社会に大きなインパクトを与える可能性が大きくなるほど、その意思決定には企業市民としての公共的責任が伴うようになります。社会の多様化・複雑化と資源の制約性に伴って政府の統治能力が限界に直面し、従来のヒエラルキー型ガバメントから、ネットワーク型ガバナンスへの移行が語られる中で、企業やNGO・NPOなど、非政府的アクターが政府と共にガバナンスを担う主体と見なされるようになっています。すると、コーポレート・ガバナンスもまた、単なる私企業内部の統制に留まらず、ガバナンスを担い得る公共的アクター内部のガバナンスとして、(グローバル/リージョナル/ナショナル/ローカルなど)マルチレベル・ガバナンスの一層に位置付けられることになります。

つまり、企業に対するステークホルダー論というのは、社会内に拡散しているサブ政治を公共的なガバナンスの問題として捉え直す意味を元々持っている(少なくとも持ち得る)のです。企業に限った話ではありません。非政府的アクターがその外のガバナンスに対してステークホルダーとして参与するのと同時に、当の組織・集団におけるガバナンスにも、内外から多様なステークホルダーが関わるのでなければなりません。ステークホルダーとは、ガバナンスの主体なのです。政治主体としてのステークホルダー概念が、単なる狭い内輪的な利害関係者ではなく、「公共化された利害関係者」として捉えられなければならない理由は、ここにあります。

ステークホルダー論は、決定を濃く強いステークホルダーによる自律的な合意に基づかせるとともに、その外に薄く弱く広がるステークホルダー(社会)への応答性を備えねばならない、との二重性を抱えます。なぜ今その二重性が必要になったかと言えば、利害関係の分布が多様化・複雑化して、従来の利益集団のような利害の均質性を前提できなくなったからです。ガバナンスが対応すべきリスクは不確実であり、個別のイシューについて誰が利害関係を持ち得るのかは自明ではないため、ステークホルダーの範囲は既存の境界線やメンバーシップとの必然的結び付きを持ちません*1
労働組合の代表性の問題がよく採り上げられるところですが、ステークホルダーの概念化には、既存の利益代表を刷新して代表性を再構築しようとする意図が刻印されています*2。誰が決定すべきか自明でないから、その範囲を再定義するために境界線を一旦外へと開こうとするのですが、それは再び閉じるためです。ステークホルダーとは、開きながら閉じ、閉じながら開く概念なのです。それゆえ、ステークホルダー論を支持するのであれば、決定を担うべきステークホルダーに社会が信任を与えてあげなければなりません。社会への応答性要求は、この信任とセットでこそ論じられるべきものなのです。


*1:それゆえに、ステークホルダーを社会から区切るべく、既存のカテゴリに囚われない「ステークホルダー分析」が必要とされます。

*2:代表性の問いは、「ステークホルダー代表」の問題として再設定されることになります。


Wednesday, December 8, 2010

クジ引きは民主的か?


クジ引きは民主的だと言われる。デモクラシーにとっての理想は、人民の中からクジで選ばれた人々が公職を担当することだと考えている人は多い。古代ギリシアの実例に範を採りながら、クジ引きこそ政治的平等と人民主権を究極的に実現する方法だと見なすのである。しかし実際には、クジ引きに民主的な要素など何もない*1


デモクラシーと多数決の関係を考えてみれば解る*2。多数決は何らかの決定を行うための一方式であり、それ自体は民主的でも何でもない。有力貴族の間で次の国王を選ぶ際にも多数決は使えるのであって、多数決を行えば民主的と言えるわけではない。同様に、独裁者が次に誰を銃殺しようか決める際にもクジ引きは採られ得るから、クジ引きそのものが民主的な性格を有しているわけではない。

それにもかかわらず、クジ引きが民主的な方法だと見なされがちなのは何故か。錯覚がもたらされる経路を、デモクラシーの2つの構成要件である政治的平等と人民主権の両面から正してみたい。後者から書く。


人民主権が単に「人民のための統治」に留まらず、「人民による統治」を意味するとしても、それは統治に伴う公共サービスを全て人民の手で担うこと(自主管理)を要請するだろうか。統治を人民が担うべき理由は(政治主体の涵養など)幾つか考えられるが、それを完全に自己目的化して、結果的に人民の利益が著しく損なわれてもよいとする解釈は見ない。「人民による統治」が人民のために求められるのだとすれば、クジで選出された公務員のパフォーマンスが(少なくとも)一定水準を下回らないとの保証が得られない限り、人民主権からクジ引きの採用を導き出すことはできない。

統治パフォーマンスの保証を得るためには、人民の政治・行政能力が一定水準以上に平準化されていなければならない。だが、デモクラシーが求める政治的平等は政治的諸権利/諸状態の平等であり、能力の平等までを含意しない。古代ギリシアのように奴隷制が主体の均質性と時間的余裕を保障し、また公職者に求められる能力的水準もそれほど高くなかったであろう社会ならば、一定水準以上に平準化された政治・行政主体を確保し続けることも可能だったかもしれない。しかし、それはデモクラシーがクジ引きの採用を許容する場合の条件がたまたま整った稀有な例なのであって、デモクラシーの理想や本質がクジ引きであることを示すわけではない。

近代以降のデモクラシーでは階級的敵対性が持ち込まれたために主体の均質性を前提することができなくなり、現代では階級的対立軸を超えた多様性が露わになることで、むしろ不等なるものの間に統一的な決定を為すためにこそ、デモクラシーが考えられている。この時代差は、デモクラシーの理想が環境条件の変化によって不可能になったことを示すものではない。そうではなく、デモクラシーの要請を実現するための手段を選択する際に前提となる環境条件が変わった、ということである。デモクラシーの内在的論理は基本的に同一であり、現代でも条件が整えばクジ引きを使うことがあり得るだろうし、デモクラシーを適用すべき社会集団がより拡大して考えられていたら、アテネでもクジ引きは採らなかっただろう。


注意しておくべきは、前‐デモクラシー的な政治的条件である。主権を握るべき人民とは誰か。政治的平等が実現されるべき集団はどこまでか。そして、それらはいかにして決まるのか。仮にデモクラシーにとってクジ引きが望ましいとしても、誰がクジを引けるのか/引くべきかをクジで決めることはできないし、しばしばデモクラシーによっても、そうである。デモクラシーは常に、その内在的論理のみならず、外的条件との関係でも考えられねばならない。それは、デモクラシーが決定と不可分に結び付くために、それを可能にする力(主権)の性質や、決定を規定する前‐決定と無関係にはあり得ないからである。

なお、上で述べたことについて、統治の全てを人民が担えるのならその方が望ましく、クジ引きを可能にするような政治主体を持続的に生み出すこともまた、デモクラシーが要請するところである、と反論する立場があるかもしれない。あるいは、人民による統治は人民に統治主体としての能力を備えることを要請するから、クジ引きに耐え得るような一定水準以上の能力を身に付けることは、本来的には責務として為されねばならない、との立論も可能かもしれない。

こうした考え方は、むしろクジ引きを理想とした上でそれを可能にする条件をデモクラシーのあるべき姿として語っているように見え、論理が転倒している。人民に一定程度の能力が必要であることは確かであるし、そうした能力の獲得を責務と捉えることはあり得るだろうが、公職担当者をクジ引きできる程の状態までをデモクラシーが要請するわけではない*3。デモクラシーの理想を間違った方向に引き上げるべきではないし、理想とすべき状態の全てをデモクラシーの名の下に語ってはいけない。デモクラシーの守備範囲を適切に限定した上で、その外に出されたものとデモクラシーとの関係を明らかにする形での議論が必要とされる。


クジの原理は、デモクラシーとは独立に考察されるべきである。クジにとって本質的なことは何か。集合から無作為に抽出する公平性であろうか。確かに、クジはその対象範囲を同一確率の下に置くことで、その公平性を内的に完結させているように思える。だが、同じことは1人1票の多数決の場合にも言える。そして、多数決が票数の割り当てを変えることができるように、クジにおいても設定次第で確率を操作することができる。

むしろ、公平性が確率的に担保されるそのメカニズム、すなわち、機械的に選択されるしかない受動性こそがクジの本質ではなかろうか。能動的行為を必要とする投票とは違い、クジは予め定められた確率に従って答えを算出/産出するだけであり、それが一度駆動し始めれば、結果を拒否することはできない。公平なる確率の神意に逆らうことは、人の恣意でしかないからである。この算術的正義こそがクジ引きを直接に正当化する根拠であり、公平性はおそらくその表層でしかないだろう。

このように捉えるならば、クジ引きはむしろ、能動的な決定へのモメントを核とするデモクラシーとは対照的な原理とさえ思えてくる。むろん、デモクラシーはクジ引きを用い得る。だが、この神的な原理を神ならぬ私たちがどのように用いるべきなのか、用いることができるのかは、例えば「生存のクジ」のような具体的局面と結び付けながら考えられなければならない。


*1:本エントリは、http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20100710/1278784857を読んで、7月11日の夜明け前ぐらいにした一連のtweetが元になっています。http://twilog.org/ryusukematsuo/date-100711の下の方です。

*2:この点については、「民主主義とは何か」、「10代のための「民主主義とは何か」」を参照。

*3:さらに言えば、仮にそうした状態があったとしても、それがクジ引きをしなければならない積極的理由になるわけではなく、やりたい人がやればいい、とする結論は依然としてあり得る。


Thursday, November 18, 2010

「暴力装置」イコール問題発言の構図


仙谷氏「自衛隊は暴力装置」 抗議受け謝罪、首相も陳謝

http://www.47news.jp/CN/201011/CN2010111801000326.html


ツイッターでは政治家が政治学/社会学における初歩の初歩も知らないのか、として批判者を問題視する反応が(私のタイムラインでは)多かったように思いますが、今回の事案で重要なのはヴェーバーやレーニンがどうということではなく、現代の日本において市民がいかに訓致化されているかということです。

市井の一般の人々がヴェーバーなど読むはずもなく、その多くが暴力なる機能語に規範的意味を過剰に読み取ってしまうのは自然であり、その反映としての側面を持つマスメディアや政治家が仙谷発言を批判的に捉えること自体は大した話ではありません。日本ほど相対的高度に民主化された国家において、軍事組織を「暴力装置」と表現することがこれ程の反発を呼び起こすのは、むしろ当然です。


国家は、特定領域において暴力を唯一合法的に独占行使します。しかし、円滑な統治のためには、暴力に基づく威嚇や強制が日常的に露わとなっては、都合が良くありません。それは国家と対抗的な暴力の存在を意識させ、統治の安定化を妨げるからです。暴力は直接よりも間接に働く方が、できるだけ人々から遠く、誰にも見えないような形で使われる方が、統治のためには望ましい在り方です。

民主化が高度に達成されているということは、統治権力に大衆が同化されている(と感じられる)度が高いということですから、統治を担保する軍事組織を暴力として表象させることに人民が反発するのは、当然に予想できることです。むしろ民主化の程度が低い国家である方が、統治権力が頼みにする軍事組織を「暴力装置」と表現することへの、一般市民の抵抗感は少ないでしょう。ですから今回の仙谷発言に対する反発は、「左翼は遠くなりにけり」という以上に、日本が(相対的)高度に民主化を達成している国家であることの証左として受け止めるべきなのです。


しかし、それが単に言祝ぐべき事態であるのかどうか、私は知りません。「国際協力や災害援助のために働いている自衛隊の皆さんを暴力装置呼ばわりするなんて」と憤る人々の姿には、その銃口が自分たちに向く可能性への想像も感じられなければ、その銃口の向きを自分たちが決めていることへの意識も見えません。「暴力」の語を隠蔽しようとする身振りの中に、それによって支配される側に回り得る実感もなければ、それを通じて誰かを現に抑圧・搾取している自覚も存在しないように思えます。現実には、ある民主的決定が為される度ごとに、いつも少数の反対者が、かしこに遠望される暴力装置の前に屈しているのですが。

無論、これこそが円滑に運営される民主的統治の(一つの?)姿なのです。市民は権力に訓致されていると同時に、権力へと訓致されています。そして、その権力は、できる限り暴力的な造形が露わとならぬよう、粉飾されねばなりません。誰しも、被害者になりたくないのと同時に、加害者として手を汚すことを嫌うからです。暴力装置を隠蔽しようとしているのは、一部の政治家やマスメディアではなく、彼らの振る舞いを規定している人民です。われら主権者の持つ武器の煌めきを言挙げすることは、はばかられなければならない無作法なのです。これが教育によって相当程度解決される性向なのか、あるいはより根が深い問題なのかについては、今のところ私は答えを持っていません。


Saturday, November 6, 2010

アナーキーの3つの意味


「アナーキー」の概念には、その語義・用法からして、おおよそ3つの意味が見出せる。第一の意味は、(1)無秩序である。これは秩序が失われた状態として否定的に言及される一般的用法のほか、特にヒエラルキーと呼ばれるような階統的な秩序の反対概念として、もっぱら記述・分析に用いられることがある。例えば、統一的な政府機構を持たない国際社会を指してアナーキーと言う場合が、これに当たる。したがって、記述・分析概念として用いられる場合のアナーキーは、無‐秩序なる否定的現象ではなく、一定の均衡状態≒秩序の現象形態を階統的/非階統的の軸上で分類する際の、一方の極を占める術語である。

第二の意味は、(2)無権力ないし無支配である。「an+archy」の由来からすると、もっとも原義に近いのはこの意味である。権力や支配の不在を指す、こうしたアナーキー概念に基づくなら、アナーキズムは無権力主義・無支配主義を意味することになり、その範囲は茫漠な程に拡がる。この意味でのアナーキーは、音楽や美術などの文化的行為/現象について多く用いられることがあるように、ただ既存の権威・権力を打倒したり支配関係からの解放を実現したりすることで達成されるような自由を指す。そのため、この概念規定に従う限りでのアナーキズムは、特定の具体的対立事象や何らかのまとまった理論を持たずとも成立し得るため、単に気分的なものも含め、徹底した自由への志向性を持つ思想(家)や運動が全てその中に含まれ得ることになる。イエスをはじめとする宗教家の多くがアナーキストとして名指されることがあったり、歴史上の芸術家・著名人などについて実はアナーキーズム的な一面を持っていたなどと言及されたりすることがあるのは、アナーキーを無権力・無支配(≒自由)と見る概念規定に拠っている。

第三の意味は、(3)無政府である。これは、通常、アナーキズムが無政府主義と訳されるように、最も一般的で、かつ明快な用法だと思われる。この意味におけるアナーキズムの思想内容を簡潔に言い表しているのは、「未来に於て国家の存在することを否認する」との定義である*1。権力や支配の不在よりも国家・政府の不在を焦点化することで、その外延は(2)の場合よりも限定されている。もちろん、多くのアナーキズム的な思想および運動においては、政府の廃絶を通じた権力および支配の一掃が目指されてきたのであるから、無権力/無支配主義としてのアナーキズムと無政府主義としてのそれは、それほど単純に分けられるわけではない。それでも、アナーキズムの語で示される思想・運動の異なる側面を概念規定の差異から明らかにしておくことには、小さくない意義があるだろう。


以上見たように、アナーキー概念は3つの意味を持つが、無秩序への否定的言及(ないし無秩序との否定的指示)や秩序形態の記述・分析に供する概念としての(1)に対応する規範的立場は考えにくく、アナーキズムは(2)と(3)の意味に対応してその思想立場を構成する。したがって、アナーキズムが有する課題は、これら2種の概念規定がそれぞれ持つ曖昧性から指摘することができる。ここで曖昧性と言うのは、規範的思想立場としてのアナーキズムが、実現すべき未来における理想状態を具体的にどう規定し、どのようにしてそこに至るかについての想定、特にその論理的一貫性に着目してのことである。

(2)の場合、まず権力や支配が何を意味するのかが問題になる。廃絶すべきとされる対象への認識が異なれば、理想状態の想定は大きく食い違うことになるだろう。また、権力ないし支配の不在を言う前に、その存在はいかにして認識・測定されるのかが論じられなければならない。権力/支配の定義および認識についての問題は、それらの不在として規定される理想状態が常に権力/支配の潜在可能性を留保した暫定的なものとしてしか現出し得ないことを示すとともに、そうした定義および認識をめぐる争いの中にこそ新たな権力/支配関係の芽が生じ得るのではないか、との疑問を浮かび上がらせる。そもそも端的に言って、権力や支配の関係を全く排することは可能なのだろうか。

無権力/無支配主義と無政府主義は単純に分けては考えられないと前述したが、それでも概念規定から論理純粋的に考えれば、権力および支配の廃絶という目的のために手段としての政府を弁証する論法も不可能ではない。例えば市場における権力や家庭・地域・職場等における支配を是正・抑制するためにこそ政府の介入が必要なのであると言えば、権力/支配の不在を目指すアナーキズムの立場から政府を正当化したことになるだろう。(2)の意味はそれ程に広くなり得る。もちろん、その場合は政府による一定の権力作用・支配体制を認めることになるのだから、権力/支配の全廃を目指す純粋な意味でのアナーキズムとは相容れない、とは言い得るだろう。無権力/無支配主義をより狭く解釈すればそうなる。例えばマックス・シュティルナーは未来状態における国家の存廃に関心を持たない点で(3)の意味のアナーキストではないが、単に権力/支配の不在への志向性を条件とするなら、アナーキストに含めることも可能かもしれない。だが、未来において権力/支配の存在することを否認する、より狭い解釈を採るなら、完全なる自由が不可能であり目指すべきでもないとしているシュティルナーは除外されるべきだろう。無権力/無支配主義の意味には、その程度の融通性が存在する。

(3)の場合、政府の概念規定を最初に問わねばならない。国家(共同社会)か政府(機構)か、という問題もあるが、仮に現存する政府を倒したとしても、機能的にそれと等価な存在が現われては意味がない。先の無政府主義の定義に基づけば、政府打倒を目指さないシュティルナーがアナーキストでない代わりに、国家の死滅を説いたカール・マルクスはアナーキストだったということになる。では、現存の国家(政府)が死滅しさえすれば、後は安泰であり、新たな国家/政府的なものが現われる心配はないのか。マルクスに拠るか否かは別にして検討の要があるだろう。すると結局、問題は無権力/無支配主義の場合と共通であることが解る。問題とする状態およびその反対概念としての理想状態をどのように規定し、その目的を長期的ないし安定的に実現することがいかにして可能か。気分的なものとしてのそれを超えたアナーキズムには、こうした諸点への理論的検討が求められるのである。


*1:ポール・エルツバッヘル『無政府主義論』若山健二訳、黒色戦線社、1990年、396頁。旧字体を新字体に改めた。


Monday, October 18, 2010

熟議批判の嘘と本当


池田信夫氏のブログは普段読まないのですが、さる人に記事を紹介されたので以下を読みました。せっかくなので、簡単にコメントをしておきます。


  • 熟議という「便利な嘘」 - 池田信夫blog
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51491223.html


話題になっているdeliberative democracyですが、その流行は別に90年代の欧州に限ったことではなく、米国その他でも未だに議論は盛んです(例えば、重要な理論家の1人であるJohn Dryzekは、オーストラリア国立大学に勤めています)。ハーバーマスの理論が現在の議論の重要な源泉の1つを提供していることは確かですが、今では彼に限らず様々な論者が議論に参入しているので、deliberative democracyをハーバーマスに代表させて一括りに批判するのは的外れです。熟議論は理性への信頼が克ち過ぎているのではないかという批判は初期からあるもので、現在では情念・感情のような非合理的ないし非言語的な要素をどう扱うかに大きな関心が集まっています。


この新しい民主政論がかつての参加民主主義論とどこまで異なっているのかは1つの論点として重要ですが、「熟議」は何も直接民主政とばかり結び付くわけではありません。直接民主政への志向性が比較的強いと言えるのは、いわゆる「ラディカル・デモクラシー」の方でしょう(ここでは説明しません)。所与の選好を数え合わせて決定を下すような、民主政の「集計モデル」への批判がdeliberative democracyの核になっていることは確かですが、例えば選挙(や住民投票)の直前に祝日を設けることで市民間での議論を喚起・促進しようとする「熟議の日」などのように、熟議には投票を下支えするような機能も想定されています。


熟議が代表制を否定しないことは(菅首相が言うように)議会が熟議の場になり得ると想定されていることからも明らかであり、つまりそれは既存の民主政を一層洗練させるために提唱されているのであって、政治システムを何か別のものに「全とっかえ」しようとする理論ではありません(その辺りが「ラディカル」な人が不満を感じるところかもしれません)。この点から自然に帰結されるように、熟議を重視することが直ちに、いつでも何でも合意できるとの考えや、「話せばわかる」的オプティミズムを意味するわけではないのです(もっとも、こうした信念に基づいて熟議を訴える立場があり得ることは否定しません)。民主政が決定を導き出す装置であることと、熟議の活用・追求は矛盾しません。


そもそも首相が熟議論などを持ち出したのは、投票の結果としての「ねじれ国会」を立法機関として機能させるためですから、「選挙‐議決」の集計モデルに則った既存の政治システムを補完する形で熟議を活用しようとする考え自体は、文脈として何ら不自然なところはありません。少なくとも今の現実政治の局面では議会での熟議が問題になっているわけですから、全ての人々が政治参加をすることの不可能性などを論ずることによって熟議論そのものを否定しようとすることの方が、余程お角違いでしょう。文脈を間違えることは恥ずかしいので、ここでは民主政のそもそも論には立ち入らないことにします(そうした点にご関心の向きは、当ブログを検索して頂ければ幾つか記事があります)。


予算のことなどはよく分かりませんので、文科省の試みについても具体的な論評は避けますが、「熟議カケアイ」のみならず、「リアル熟議」など市民主導の試みも色々と行われているようで、それ自体は良い方向への動きなのではないでしょうか。理論と実践は違いますから、こうした取り組みや首相の想定している国会像などがどこまでdeliberative democracyの理論と一致しているかどうかは分かりません。新奇な言葉を掲げても、大した内実が伴っていないのであれば、それとして批判する必要があるでしょう。学問上の理論や概念が一般社会や現実政治の中で都合の良いようにつまみ食いされたり、時に消費され使い捨てられて行くのは、自然なことです。「熟議」が一般に普及してそれなりに定着したならば、その現実の姿を批判的に捉え直すことで理論は更に学ぶでしょうし、やがて廃れて打ち棄てられるようになれば、その屍に理論はやはり学ぶでしょう。それでいいのだと思います。「現場」はそれぞれですから。


Monday, August 23, 2010

デモクラシーは「民主主義」なのか


日本では“democracy”と言えば「民主主義」と訳されることが一般的です。場合によって「民主政」「民主制」などとも訳されることがあり、私などはこの訳し分けに積極的な意義を見出して区別し、民主主義/民主政の両面を包含したい場合には「デモクラシー」の語を使いますが*1、最も普及している訳語が「民主主義」であることは疑いようがありません。

しかし、しばしば指摘されることですが、本来“democracy”が意味するのは「民衆(デーモス)の支配(クラティア)」という政体であって、これは君主政や貴族政に対するものではありますが、「~主義(-ism)」ではありません。したがって語源・語義的には「民主政」の訳が正統に思えるのですが、日本では「自由主義」や「社会主義」などと一種並列に「民主主義」が語られる傾向が根強く見られます。

この辺りの事情がどこに由来し、どういった影響を及ぼしているのかについて、白井厚『社会思想史断章』(日本経済評論社、1989年)に大変興味深い一節がありましたので、以下に引用します(38-40頁。イタリックは原文傍点、太字引用者)。


 古い文献をたどると、一八六一年(文久元年)に起草された加藤弘之『隣草』には"万民同権"(洋名デモカラチセレプブリーキ)の語があり、後に彼は『立憲政体略』(一八六八年・慶応四年)においてディモクラスィを"万民共治"と訳した。そののち馬場辰猪は"共存同衆"、徳富蘇峰は"平民主義"、都築馨六は"民政"、小野塚喜平次は"衆民主義"などの訳語をあてている。

 ディモクラスィという言葉をしばしば用いるようになったのは、いわゆる大正ディモクラスィの時代であって、美濃部達吉はこれを"民政主義"と訳し、尾崎行雄はこれを"輿論主義""公論主義"と呼び、吉野作造は"主民主義""民本主義"の語を用いた。

 ここで注意すべきことは、ディモクラスィは、天皇制絶対主義的旧憲法体制と真向から衝突するはずの新しい政治制度としてではなく、主義、思想、信条として、旧憲法体制とは必ずしも矛盾しないごく一般的な原理としてわが国に受け入れられたことである。"民本主義"の名を世に高からしめた吉野作造は、その「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」(一九一六年・大正五年)において、主権在民の民主主義は君主国たるわが国には通用せず、民本主義は、"法理論上の主権の存在を問わず、主権の行用上、主権者はすべからく一般民衆の利福並に意嚮を重ずるを方針とすべしという主義"だと説明した。すなわち、天皇制絶対主義との対決を回避して、非立憲政治的な元老・軍閥・官僚らにブルジョア社会への適応を要求したにとどまったのである。[…中略…] こうして、大正ディモクラスィの精華とうたわれた吉野の民本主義も、実は主権論が骨抜きにされ、天皇制支配下で許容されうるほどに水割りされた"憲政常道""議会政治"という信条にすぎなかったのである。

 このような水割りは、第二次世界大戦後に占領軍によってディモクラスィを強要された時にも、当時の日本の支配者層によって種々試みられた。[…中略…] そして議会の論議においても、本来"民主的"であった"国体"は不変であるという主張がなされ、その上で"国民主権"が憲法に明記され"日本国民の総意"として天皇が温存されたのである。こうしてディモクラスィの復活強化論は、自由民権運動など戦前のデモクラティックな運動や天皇制支配の犠牲者に対する積極的な評価にもなりうるが、他の一面において、ほかならぬ天皇制絶対主義をもデモクラティックなりとする詭弁に役立った。現在唱えられている"民主主義"なる言葉は、こうした水割りによって、ある時は議会主義に、ある時は合法主義に、ブルジョアジィの支配とも天皇制の温存とも矛盾せずどうにでも都合のよいように解釈され、自民党から共産党に至る各政党のシンボルとして、十分な検討もなく用いられてきているのである。ディモクラスィを"主義"として、しかも"民主"的な"主義"として訳したことは、このような、いかにも日本的な用法を生むのに役立ったというべきであろう。


著者の評価に全面的に賛同するか否かにかかわらず重要なことは、“democracy”が「民主主義」ないし「民本主義」と訳され、「政体」としてではなく先ず「主義」として受け取られたことによって、日本ではデモクラシーに「制度」的側面よりも「考え方」を見出す傾向が強く刻印されてしまった、との見方です。

もちろん事は単純ではなく、デモクラシーには(福田歓一の言葉を借りれば)「機構原理」に留まらない「価値原理」が含まれていることも、確かな事実です。それら両原理を総合した「社会構成原理」にこそ、デモクラシーの全体像を見るべきでしょう。しかし日本では、デモクラシーを民主「主義」として解釈することで価値原理的側面ばかりを重んじる偏りが生じ、その結果として機構原理的側面への注目が十分に為されず、政治を語る際にも「民主主義」の名の下で様々に解釈された精神論が展開されてきました。

制度への洞察を欠いたデモクラシー論はお題目にしかなり得ません。「日本には民主主義が根付いていない/根付かない」などと言いたくなる人ほど、そこで「民主主義」という言葉とともにどのような「政体」がイメージされているのか、それがどういった制度と結び付き得るのかを、自分に問い直してみるべきなのです。理念と制度を結び付けた議論を通じてこそ、各々が実現したいと思うデモクラシーの姿が明らかになります。そのデモクラシーが日本で可能か、それはどのようにしてかは、そこから始まる話でしょう。

もとより、機構原理と価値原理の総合としてのデモクラシーには単一の正解など在り得ません。もし「民主主義」なる言葉の使用を通じて何かが「割られ」ざるを得ないとしても、では何で「割る」べきか、を問題にするべきでしょう。「民主主義」、「民主政」、「デモクラシー」のどの用語を使おうと、人それぞれ意味するところが違ってくるのは避けられません。ですから、私は「「民主主義」って言うな!」とは言いません。私たちが共有すべきスローガンは「民主主義よりデモクラシーを」ではなく、「どんなデモクラシー(民主主義)を?」なのです。


文献



Tuesday, August 3, 2010

社会運動は日本を変えてこなかったか?


多少時宜を外した感が無きにしも非ずですが、西田亮介氏がシノドスブログに寄稿している「「あたらしい『新しい公共』円卓会議」は、市民運動を越えられるか?」(2010年7月5日)と題する記事について、少しコメントしたいと思います。

予め言っておきますと、私はこの記事では非常に重要な問題が扱われていると思いますし、その結論にも概ね賛成です。しかしながら、いかにひいき目に見ても、「「アマチュアリズム」とパトスに支えられた「社会運動」は、日本社会の変革に大きな実行力を持ちえなかった」との診断は、随分と大味で、容易に受け容れることはできないものです。たぶん、いささか狭義の――つまり昔ながらの大文字の――「政治」や、トータルにイメージされた――日本文化論と結び付きやすいような――社会の「構造的問題」などへの意識に引っ張られ過ぎたゆえの認識なのかな、という感じを抱きます。


「運動」は日本社会を大して変革してこなかったと言われますが、しかし戦後に限っても反証になりそうなものは幾つも思い浮かびます。公害問題によって激しく噴き出した運動は、行政や企業活動を変革しなかったでしょうか。その潮流は、現在の「エコ」かまびすしい社会の実現に貢献した環境運動と地続きなものです。昨年は消費者庁が新設されましたが、これは長きに渡る消費者運動における最近の成果ではないのでしょうか。女性運動はどうでしょう。男女共同参画がうたわれるようになった昨今ですが、これを実現したのが運動の成果ではないのなら、フェミニズムや「ジェンダー」はなぜあんなに叩かれるのでしょうか。

キリがないのでこの位で止めておきますが*1、少し省みれば解るように、様々な社会運動は現に日本の社会を変革してきましたし、それは政策や行政の変容とも深く結び付いています。そもそも「歴史を遡」って挙げられる事例が小泉改革と全共闘運動の2つだけである時点で既に疑問符が浮かばざるを得ないのですが、更に(少なくとも)その間にあったことを全てひっくるめ、議論の縮尺が全く異なる小熊英二氏と大嶽秀夫氏の著作を介することによって先の「診断」を引き出すのは、さすがに無茶です*2

西田氏が過去の運動に学ぶことの必要性を訴えている点は、素晴らしいと思い、共感します。ただ、そこで具体的にどのような運動が想定されており、何を学ぼうとしているのかは(当該の記事だけでは)よく解りませんし、そもそも先に指摘した無茶ゆえに、何を以て「失敗」と診断されているのかの根拠も判然としません。いささか意地悪な見方をすれば、何の説明も無く持ち込まれる「従来の「市民運動」的イデオロギー」なる言葉遣いからして、結局ステレオタイプ的に構成された「プロ市民」的イメージを前提とした目線で運動史をつまみ食いしているだけなのかな、という印象さえ抱いてしまいます。敢えて辛い言葉を選ぶなら、「社会運動」に対する認識が貧困なのではないか、ということです。


私は社会運動論や社会運動史などは門外漢ですが、簡単に整理してみます。例えば松浦正浩氏は、交渉と対比する形で、「自分の考え方や主張を、他人にも賛同してもらうことで、同じ利害関心を持つ人たちを増やそうとする活動」を「社会運動」と呼んでいます*3。松浦氏によれば、社会運動には「国民の大多数が同じ意見を持っている(であろう)ことを可視化することによって、政治家を動かしたり、新しい法律や政策をつくらせたりする圧力となっている」面があり、それがなければ、「国が解決すべき社会的問題」を市民社会の側から設定することは不可能になるとされます*4

関連で、mojimojiさんの以下の文章は重要なものですから、見ておきましょう。


社会制度は常に不完全であり、そこに取り残された人がいる。ゆえに、社会制度が頼れないところでも、(1)当面の生活を支えるための活動が必要であり、(2)その状況を変更して社会制度を作っていく活動が必要である。これら二つは、原理的に無報酬・持ち出しで負担する人がいなければ不可能な事柄である。ボランティアの本質は、今そこにないものを補充し作っていく活動であるという、活動内容における先駆性である。




松浦氏が「社会運動」と呼ぶものは、この(2)に対応していることが解るでしょう。つまり、社会内の何らかのニーズに対応しようとするボランタリーな活動が在るときに、そのニーズを直接に「支える」活動=(1)と、ニーズに応じて社会を「変える」活動=(2)とを分類することができて、後者は社会運動と呼ばれることが多い、ということです。もちろん、これはあり得る1つの整理ですから、「社会運動」の定義がこれに限られる、ということではありません。

フォーマルな政治過程では十分に利害が反映できず、ニーズへの対応が望めない場合に、政治システムへの異なる形でのインプットを可能にする代替的な利害反映回路として社会運動が存在する。まずは、そのように捉えてみましょう。その上で、運動が長期的に継続され、各種の運動団体がフォーマルな政治過程との一定の結び付き(ロビイングなど)を得て社会的に認知されるようになれば、運動は「制度」化されていくと考えられます。すると、社会を「変える」活動としての社会運動には、非制度的な段階に留まるものと、制度化されてセミ・フォーマルな回路を形作っていくものの2種類が在る、と見なせます。

いわゆる「プロ市民」批判的な社会運動観というものは、後者の制度化された運動ばかりに焦点を当てたものではないでしょうか*5。既に制度の一種に成り得たものばかりを見て「社会運動」と呼んでいるのであれば、それが社会を大きく変革しないように見えるのも当然です。「社会運動」なる言葉の意味付けは自由であり得ますが、それが私たちも現に享受している果実を不当に貶めるような意味で使われるのであれば、いかなる観点から見ても決して好ましいとは言えませんし、何よりも歴史に学ぼうとする姿勢が偽りであるということになってしまうでしょう。


人々を「支える」活動と社会を「変える」活動についての近年注目すべき動向は、企業の社会的責任(CSR)や社会的企業/起業の興隆でしょう。CSR一般は、社会制度の一部としての企業体が、その外部に取り残してきたニーズ(期待・要請)への対応を日常の事業活動プロセスそのものの中に組み込んでいこうとすることだと捉えられます*6。社会的企業/起業に至っては、より直接に、これまでボランタリーに行なわれてきた「支える」活動をビジネスの組み立ての中で行うような存在であると見なせるでしょう。社会的企業/起業によっては、「支える」活動に留まらず、さらに積極的にビジネスの論理から社会を「変える」活動へと踏み込んでいくことも少なくないと思います。この点では、CSRの一部としての社会的責任投資(SRI)も、社会内のニーズをビジネス内在的に企業の事業内容へと反映させる回路を働かせることで、「変える」活動の一部たり得ると考えられます。

このように、伝統的に知られてきたボランタリーな活動のみならず、近年盛んになりつつある、ビジネスから社会制度不全への対応を行っていこうとする活動をも「社会運動」と捉えることができるとすれば、それは社会運動の可能性を一層大きく見積もることに繋がるでしょう。そしてそのように拡大・再定義された「社会運動」概念は、大きな社会変革への望みが託された「新しい公共」概念とも軌を一にするものであろうと、私は思うのです。


活動内容ボランタリー論理ビジネス論理
(1)人々を「支える」ボランティア社会的企業(+事業型NPO)
(2)社会を「変える」=広義の社会運動狭義の社会運動(非制度/制度)社会的企業、SRIなど

(*この表の整理は実験的なもので、あまり厳密ではありません)


文献



*1:この辺りについては拙エントリも参考にして下さい。

*2:私は、全共闘運動も先に挙げたような様々な運動と深く結び付いていたのであり、その意味で日本社会を何も変えなかったわけではない、と思います。

*3:松浦正浩『実践! 交渉学――いかに合意形成を図るか』筑摩書房(ちくま新書)、141頁。

*4:同、141-143頁。

*5:違う言い方をすれば、通俗的な「運動」批判とは、過去の非制度的な運動が成し遂げてきた基盤の上に立って、制度化されて成熟した――ためにいささか発酵した――運動を罵倒するという、一種おめでたい振る舞いではないでしょうか。

*6:CSRについては、谷本寛治『CSR――企業と社会を考える』(NTT出版、2006年)などを参照。


Monday, August 2, 2010

祈りとしての革命


革命とは何であるか。それは、私たちを日常的に取り囲んでいる「市民的現実」の破壊であり、外部からの侵略であると、千坂恭二は言う(千坂[2010])。是々非々の立場取りや条件付き賛否などは、革命とは相容れない。これら議論≒説得可能性なるものは、相手と共通の基盤の上に立つことを意味するが、革命はそうした「基盤」そのものと全面的に対立し、それを覆そうとする行為にほかならないからである。革命は、この世界そのものと一切の妥協なしに敵対することでなければならず、それ以外ではあり得ない。


したがって、空腹への批判や生活の改善要求などは、革命の問題ではない。それらはエコノミーの、つまり経済学の問題であり、経済学批判の問題ではないからである。飢えや貧困をどうにかしようとするヒューマニズムなどは、資本主義内部の問題でしかなく、資本主義そのものの批判ではあり得ない。無論、空腹への批判が革命と結び付いていた時代もあった*1。だが、冷戦の終焉とともに資本主義が全球化されて世界そのものと同一化し、資本主義の外部が完全に消滅した現代では、単なる進歩・改良に飽き足らない資本主義批判は、現実そのものの破壊、すなわち生活の荒廃へと結び付かずには貫徹されない。革命は、世界の外へと追放されたのである。

ヒューマニズムを拒絶し、資本主義そのものの批判へと至ろうとすれば、人類の抹殺さえも肯定し得る。私たちが資本「主義」のイデオロギー性を意識しなくなり、それを自らの生の必然的条件として疑いもなく前提するようになったこの世界では、革命など現実に生きる人々にとっての災いでしかない。したがって、革命を目論む者は私たち小市民にとって共通の「敵」、絶対的他者であり、「われわれ」が一致団結して殲滅すべきテロリストなのである。

千坂の示唆において重要なのは、市民的現実への侵入であり、非妥協的な攻撃としての革命においては、行為者の意図や思想などは全く問題にならない、ということである。革命の本質が体制との絶対的敵対性に在る以上、それは現実を否定し、国家を破壊して権力を獲得しようとする運動それ自体として完結している。革命は、個別的な要求項目を持たない。ゆえに、革命は遂行されるか阻止されるかのいずれかでしかあり得ず、部分的な肯定/否定などは許されない。そして、それが遂行される過程において、秩序破壊と権力獲得の目的に奉仕しないような行為理由などは重要でない。現実を破壊することに理由など要らないのであって、革命家が後に何を樹立しようとするのかということは、革命の本質とは無関係である。


この点において、白井聡のレーニン解読が示唆に富む。白井によれば、レーニンの革命観とは、人間の外部に存在する非人間的な客観性≒「モノ」の力が発現することによる既存秩序からの人間解放としてイメージされるものであったという(白井[2010:50])。解放が外部から生じる何かによって引き起こされねばならないのは、既存の世界から生まれてくるものでは、人間の有限性を超えた真に革命的な変化などは期待できないからである。

そして、人々の解放をもたらすこの「外部」は、誰かの手によって現実世界へと引き寄せられなければならないものであるという。すなわち「ハンマーによって現実の外皮を叩き破り」、何らかの「外部」を私たちの世界へと持ち込もうとする行為こそが、革命と呼ばれるのである(白井[2010:98])。孫引きになるが、白井が引いているレーニンの言葉を引き写しておこう(白井[2010:124]、強調はレーニン原文で白井著では傍点)。


プロレタリアと貧農の反抗力というものを、われわれはまだ見たことがない。なぜなら、この力は、権力がプロレタリアートの手にあるときにはじめて、すなわち、国家権力が被抑圧階級の手に入ったこと、この権力が地主と資本家に対する貧民の闘争を助け、地主と資本家の反抗を打破していることを、困窮と資本主義的奴隷制とに押しつぶされた幾千万の人々が体験によって知り、感じるときにはじめて、あますところなく発揮されるからである。そのときにはじめて、われわれは、資本家に対するどれほどの無尽蔵なさらなる反抗力が人民のなかに潜んでいるかを、知ることができる。


こうして「外部」は創り/造り出される。「客観的なものは現実に対する判断に供される批判的な尺度としてすでに準備された出来合いのものではなく、革命によってはじめて開示され、獲得される何物かである」(白井[2010:120]、傍点省略)*2。「革命運動の前に立ちはだかる現実としての「客観的実在」のなかに本当に展開されるべき物質(ヘーゲルにとっての「理性的なもの」は宿っており、それは叛乱を通じて世界にもたらされる秋を待っている」(白井[2010:98])*3。だからこそ、革命家の手には「ハンマー」が握られなければならない。レーニンは、断じて言う:「待つことは、革命に対する犯罪である」(白井[2010:125])。


さて、(きっと)決して革命家ではない「われわれ」が、こうした言説を前にして怯え以外に感じるべきことは何だろうか*4。それは、かつてヴェーバーが「資本主義の精神」と結び付けたところの、「プロテスタンティズムの倫理」だろう(ヴェーバー[1989])。ヴェーバーが描いたプロテスタントは、予定されている救済に自らが含まれていることの信を置くことで足ることを知らない労働に精を出したが、それは内実不明の「外部」に信を置いて何はなくとも現体制を破壊することに精を出す革命家の姿に重ね合わせることができる。

それぞれが信じたいものを誰も知ることができない遠い未来に見ることで現在の行為への動因をもたらす所作自体は、様々な場面で広く目にすることができるものであるから、ここに革命家のエートスと「資本主義の精神」との何らかの結び付きを見出そうとする皮肉には、大した価値はないだろう。むしろ私たちはそこに「祈り」を見るべきであり、この世界には実在し得ない「外部」を敢えて創り/造り出そうとする営為において、革命家すらも避けることができない「祈り」について考えるべきなのである。

「祈り」とは何か。それは超越的な何物かとのコミュニケーション企図である。「祈る」ことの固有性とは、「願う」でも「望む」でもなく、だが決して「想う」には留まらない部分に在る。「こうして欲しい」と願ったり、「こうであったら」と望んだりするわけではない意味で「祈らざるを得な」かったり、「祈ってしまう」時、おそらく私たちは、得体の知れない何かと対話しようとしているのであろう。その相手は自分自身でもないゆえに、「祈る」ことは「想う」ことでもなく、答えない何物かに向かって働きかける行為としてしか見なせない。

革命家は、未だ見ぬ得体の知れない(来るべき)可能性に対して「祈っている」。革命とは、それ自体が祈りとしての破壊である。祈ることに理由は要らない。祈るか、祈らないかの分岐が在るだけである。祈りに内容は存在しない。採り得るのは「何を祈るか」ではなく、「どう祈るか」の選択だけである。さて、どう祈ろう――革命か、否か。道が分かれている。


文献一覧



  • アレント, ハンナ[1995]『革命について』志水速雄訳、筑摩書房
革命について (ちくま学芸文庫)


  • 千坂恭二[2010]「革命は電撃的に到来する――大きな物語は消滅したのか」『悍』第4号
悍 第4号 特集:嗚呼、左翼


  • 白井聡[2010]『「物質」の蜂起を目指して――レーニン、〈力〉の思想』作品社
「物質」の蜂起を目指して――レーニン、〈力〉の思想


  • ヴェーバー, マックス[1989]『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』大塚久雄訳、岩波書店
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)


*1:アレント[1995]を参照。

*2:ゆえに、固定化を拒む「自由」に付せられる「未知の」なる形容には、「かくめいてきな」とルビが振られなければならないのである(白井[2010:249])。

*3:革命が自然発生的という意味で必然的なものでは決してなく、あくまでも選択的に為されるものでしかないことは、千坂も指摘するところである。

*4:私はシュティルナー的エゴイストとして、「革命」よりも「反逆」の道を採る。


Saturday, June 12, 2010

フランス自由主義の両義的位置――三浦信孝編『自由論の討議空間』




「フランス自由主義」なる言葉遣いは,聞く人を怪訝にさせるかもしれない.まるでそれは語義矛盾であるかのように,「フランス」と「自由主義」が寄り添って私たちの会話の中に座るのは稀な出来事である.「ドイツ」「ロシア」「日本」といった語との距離はそれ自体として測られる必要があるとしても,「自由主義」はいつも「イギリス」と,あるいはやや違った相貌を備えた“Liberalism”として,「アメリカ」の語と同席してきた.対して,「フランス」の語には「自由主義/Liberalism」よりも,「民主主義」や「共和主義」が結び付けられることが常であった.

「フランス・リベラリズムの系譜」を副題に持つ本書は,このように祝福されてこなかった交際について,その馴れ初めと道程を,個々の思想家に即して語ろうとする営みの収穫である(2009年6月6日のシンポジウム「自由主義とは何か?――フランス・リベラリズムの系譜」が本書の基になっている).


自由論の討議空間―フランス・リベラリズムの系譜



フランス自由主義の「再発見」



「序」で三浦信孝が語るように,「フランス政治思想の主流はルソーとフランス革命を起源とし、それから一世紀後の第三共和政期に政体として定着した共和主義であって、自由主義は一九世紀後半から次第に傍系に追いやられ、さらに一世紀後の一九八〇年代からようやく復権の気運にある」.80年代にルイ・ジラール『フランスの自由主義者たち』(1985),アンドレ・ジャルダン『政治的自由主義の歴史』(1985),ピエール・マナン『フランスの自由主義者たち』(1987)などの著作が連続して刊行される以前には,この国では「フランス自由主義という問題設定が、必ずしも共有されていなかった」(宇野重規).それは,既に1970年にはコンスタン,ギゾー,トクヴィルを扱った田中治男『フランス自由主義の生成と展開』を得ていた日本と比べても遅く,この時期までのフランス自由主義の研究は,「リベラリズムを主流とする枠組みに置いて思考する英米圏の研究者」によって主導されていたとされるのである.

「社会主義と共和主義の同盟」が幅を利かせた共和国では,「リベラル」は「社会主義に敵対する反共保守を指す否定的なレッテルだった」(三浦). フランスのリベラルたちは,「他国の自由主義が課題とした近代人の自由についての諸問題の重要ないくつかを、フランス共和国(ルソー的共和主義)に奪われた」(安藤隆穂,強調引用者)のである.80年代の政治状況の中で英米的リベラリズムの視角を内在化したフランスが「フランス自由主義」の伝統を掘り返す際に1つの拠点になったのは,歴史学者フランソワ・フュレが設置したレイモン・アロン政治研究センターである.マルクス主義を「知識人のアヘン」と呼んでサルトルと対決した哲学者の名を冠したこの研究所に籍を置いたマナン,マルセル・ゴーシェ,ピエール・ロザンヴァロンらは,ジャコバン主義と保守反動の間で大革命の遺産――それは「遺産」でなければならない――を正しく引き継ごうとしたフランス自由主義の再評価に,大きな役割を果たした.


自由主義と共和主義――フランスにおける



では,フランス自由主義の何を再評価するのか?川出論文が整理するように,バーリンが強制の不在としての「消極的自由」の擁護者に数えたロックやモンテスキューは,実際には何らかの「法」を前提にした自由を擁護したのであり,「すべての法は自由の侵犯である」とするベンサムとは初めから遠い位置にいた.もちろん,自然法思想の流れに位置して「法のないところには自由もない」と述べるロックにおいても「個人の自由の実現が目的であり、自由な国家はその手段」だったのであり,後にスミス(水田論文),コンドルセ(安藤論文),コンスタン(堤林論文),トクヴィル(宇野論文),そしてJ.S.ミルなどに受け継がれるこの自由主義と,個人の自由を「自由な国家」の副産物と見る共和主義との間には,埋めがたい溝が横たわっている.この点は,自由が前提とする「法」の理解をロックとは異にし,国家的な法が可能にする自由を考えて共和主義的伝統により近づくモンテスキューにおいても,基本的に変わることがない.

「フランス・自由主義」を考えるなら,単にイギリス自由主義のフランスにおける継承を論じても仕様がない.また,思想は常に他の思想との関係の中でその意義を問われるものである以上,「フランス自由主義」について語ることは,「そうではないもの」をも見ることを要請する.「フランス」と民主主義/共和主義との紐帯を揺るぎないものにしている最大の功労者たるルソーが本書でも扱われているのは,必然である.本書の稀有な意義を十全に享受するためにこそ,ルソーとその鬼子たるジャコバン主義への理解は,フランス自由主義全体への評価を規定する磁力を持ち得るものとして,常に振り返られなくてはならない.その意味で,政治思想における永遠の論争点であろう「一般意志」を,差異の討議による総合――「コミュニケーションなき均衡」(東浩紀)ではなく――として描いている川合論文は,必読である.


コンドルセの両義的自由主義



そう書き留めておきつつも,ここでは一般にはなかなか知られることのないコンドルセの思想を扱った安藤論文に触れておきたい.コンドルセは,テュルゴの王政改革に参画し,大革命期にはジロンド派の憲法草案を書いて,ジャコバン派との争闘に敗れて獄死した.彼の思想は,道徳哲学者スミスから引き継いだ「商業社会」を国家と対置させて,政治的自由とは異なる個人の私的自由を擁護した点で,ルソー的共和主義とは異なる.しかし,そうして国家から自律した市場にコミュニケーション空間を見出し,そこにおける市民の討議からこそ「公論」が形成されると考えた点で,シェイエスのように素朴な経済的自由主義――現代のフランス的「リベラル」と結び付けられるそれ――とも区別される.

男女普遍的な教育機会の無償の提供を訴えたコンドルセは,それを通じて社会内に対等な討議空間が創り出され,分業社会における職業人としての近代的市民が,自由を侵されることなく不平等を克服し得るようになることを期待した.彼は,分業社会における知識の専門分化が「職業による貴族」を生み出す危険性を自由への脅威と見なし,こうした寡頭制を生み出さないための公教育の充実こそが,自由な市民を社会内に留めたまま共和国を調和に導く方策であると考えたのである.


このように,職業人としての市民の自律を重視し,その自由が追求されることの肯定を同時に平等の実現に結び付けるとともに,自由な主体たる個々人を市民社会に留めたままでの公共性の可能性を考えたコンドルセの思想は,現代においても大いに示唆を得られるものである.また,彼の立場の両義性こそが,本書全体を貫くテーマである,フランス的な自由主義の在り方を体現しているようにも思える.


自由主義の存在しない国フランス,そして政治理論へ



フランス自由主義は,個人の自由を確かに擁護する立場でありながら,同時に個人の原子化や非国家的な「社会的権力」への恐れをも表明するトクヴィルに見られるように,フランス的文脈に縁取られた独特の姿をしている.本書に「共和主義と政治的近代」と題する章を寄せているアラン・ルノーが,80年代に個人主義論争を巻き起こしたルイ・デュモン(『個人主義論考』1983)やジル・リポヴェツキー(『空虚の時代』1983)をゴーシェ,ロザンヴァロンなどとまとめて「ネオ・トクヴィリアン」と呼んでいることを知るなら,私たちはそれを一般的な自由主義の伝統とは区別して考える必要があると感じるだろう.しばしばアメリカについて,「そもそも社会主義が存在し得なかったが故の,分配的正義を摂取した特殊アメリカ的なLiberalism」が語られる――アメリカには自由主義しか存在しない!――ように,フランスについては「そもそも自由主義が存在し得なかったが故の,個人的自由の擁護を摂取した特殊フランス的な共和主義」を見るべきなの――フランスには共和主義しか存在しない!――かもしれない.


こうした土壌からロールズ以後の現代政治理論を消化するルノーは,消極的自由に偏しがちな自由主義を軌道修正するためにトクヴィルが組み立てた「共和主義的問題設定」を前提としながら,「参加する自由」という共和主義の信条と矛盾せずに自由主義の遺産を受け継ぐために有り得る解決策として,3つの「共和主義的リベラリズム」を挙げる.第一に「個人の道徳化」というルソー的解決であり,第二に個人を文化的共同体に確固として帰属させるテイラー的解決であり,第三に「より参加型でより民主的な政治構造」を以て個人の利益を国家の機能と安定的に結び付ける「政治的な」解決,すなわちハーバーマス的解決である.


共和国とライシテ,そして「政治」へ



フランスに根差した自由主義的な共和主義の立場からアメリカ的なリベラル/コミュニタリアンの諸議論を共和主義的自由主義の問題として再構成するルノーの振る舞いに刻印された共和国の歴史性こそが,あるいは本書のハイライトなのかもしれない.しかしそのことは括弧に入れるとして,第三の解答が「よりリスクの少ない」選択肢であるというルノーの診断に,私は反対しない.とはいえ,彼の国で法治国家における民主的な――疑いも無く民主的な――決定によってムスリム女性からスカーフやブルカが剥ぎ取られた/剥ぎ取られようとするのを見る時,そこで擁護されている「自由」とは何であるのかと,そう問わざるを得ない.


モンテスキューはピョートル1世がロシア人男性に髭を切らせたことを問題視したが,サルコジはフランス人女性に布を脱がせようとしている.そこで実現されるのは果たして,誰のどのような「自由」であるのだろうか.もちろん,「ライシテ(非宗教性/政教分離)」もまた大革命の「遺産」――革命が終わったとすれば――であり,それは国家のリベラルな中立性の要請とも一致する(もっとも,単純化を拒むこの問題については,内藤正典・阪口正二郎編『神の法vs.人の法』(日本評論社,2007年)などを参照).「村の小さな学校の教室に掲げられていた十字架をとりはず」した記憶(工藤庸子『宗教vs.国家』講談社現代新書,2007年)は,今も共和国の隅々に受け継がれているだろう.しかしそれでも,ルノーが「よく理解された個人の利益こそが、法治国家を機能させる唯一のバネになる」と語る時,その「個人」とは一体誰なのか,と反問したくなる.ここに開かれているのは,もはや歴史に刻まれた自由主義や共和主義などの思想の問題には留まらない,端的な「政治」の地平なのである.


Monday, May 10, 2010

公訴時効廃止に何を見るべきか


先月末、重大な罪の公訴時効を廃止・延長する内容を含む改正刑事訴訟法および改正刑法が成立した。これに伴って全国犯罪被害者の会(あすの会)が発表したコメントによれば、今次の改正は「犯罪被害者の多年にわたる悲願」である。

だが、『法律時報』5月号で白取祐司氏が指摘するように*1、改正案の提出に先立つ法務省法制審議会刑事法(公訴時効関係)部会等での議論においては、公訴時効の存在意義にまで遡った根本的な討議が闘わされた形跡は薄い*2。今次の改正を後押ししたのは、そうした原理的なレベルでの刑罰観の修正であるよりも、むしろ犯罪被害者(遺族)たちの「声」に共鳴・共振する「世論の声」であり、政府側もその事実が法案成立の推進力であると公然と位置付けていた*3

多くの人々が公訴時効廃止・延長を支持した/していることには、もちろん本人の自発的感情も無視できないとはいえ、メディアを通じて表象される犯罪被害者(遺族)の感情に影響されたところが大きいと思われる。これは感情による選好形成という意味で、まさに「情念」に基づく政治過程の実例である。そして、ここで重要なのは、政治を動かす世論を形成する情念が、自分自身から発する以上に他者の情念に「共感」することで増幅された情念であるということだ。このように観察される社会的現象が持つ理論的意味は小さくないように思う。


さて、時効制度については当ブログでも何回か採り上げていて、2009年5月には時効廃止論議が進む中で「時効はなぜあるのか」を問い直したエントリを書いている。そこでは刑事・民事両面にわたって時効制度の根拠と機能を整理しているのだが、通時的な連続性の中で個人の人格同一性が相対化されていくとする比較的広く共有されていると思われる感覚と時効制度の存在を結び付けて考え、それにもかかわらず時効を排そうとする動きが出てきたことの由縁を簡単に考察してもいた。

この点はその後「社会の個人化と個人の断片化」と題するエントリで、多少敷衍してみてもいる。その部分を引いておこう。


でも、そういう個人の断片化みたいな話は理解しやすいんだけど、私が混乱するのは、その一方で時効制度への否定的見解が強まっているのをどう考えたらいいんだ、ということ。時効制度の有意義性を否定するということは、個人の通時的流動性を軽んじて統合性を重んじ、人格的同一性を絶対的に捉える立場に連なることを意味する。それは個人の断片化傾向と矛盾するではないか。この問題は結構前から気になっているのだが、あまりきれいな答え方はできそうにない。

時効制度への否定的見解が力を得ている背景については、既に一応「司法がより個人的な単位への応答性を高めることが要請される一方で、個人の通時的流動性よりも一貫性が重視されており、こうした事態の両面は、社会が本質化された個人の単位に完結した形で自己理解されるようになっているとの解釈可能性」を提示してみたことがある。

二つの傾向を整合的に理解するための一つの選択肢としては、ポストモダン的な流動性上昇というものは、あらゆる単位に対して、より小さな単位への離合・分解を迫るものだ、と考えることはできるだろう。それが(企業や家族を含む)社会に対しては個人化を、個人に対しては個別のキャラ/ペルソナ、あるいは刹那的な「意識」へとバラけていくことを促しているのだ、と(さらに原子化した個人は「本質化」に向かいやすいことでもあるし)。だから、内的には断片化(刹那化)しつつある個人が、対他的・対外的には統合的人格観を押し出すようになるのは、決して矛盾ではないのだ、と。


おそらくは、社会の個人化を背景にして個々の主体に結び付けられる属性が本質化される――個人の特性がある集団への帰属によってではなくその個人生来の「宿命」と見做される――ために、他方で主体は刹那性を増して一層細密に分節化された形で捉えられているにもかかわらず、いやむしろ、そのような刹那化が主体の通時的連続(存在)性を弱めたためにこそ、本質化された罪が過去の刹那と現在の刹那をショートして、今・此処の私たちの前に再想像される*4。そのように考えた方がよい。そこでは、法制の根拠となっていたはずの社会学的現実、積み重ねられた時間とその間の生活という現実が、もはや罪を終わりにするだけの説得力を持たなくなったのである。



参考




*1:白取祐司「公訴時効制度「見直し」法案への疑問」(『法律時報』2010年5月号(通巻1021号)、2010年4月27日)。


*3:法制審議会第162回会議 配布資料5「公訴時効制度に関する世論調査について」。

*4:このように考えると、宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』の議論とも接点を持つだろう。


Monday, May 3, 2010

憲法の機能をめぐる認識のズレ


憲法記念日であるので憲法をお題に何か書くことにしますが、さして詳論したいと思うことも無いので、あまり指摘されていないと思うことだけを、なるたけ簡潔に話します。


左派的な立場から憲法が論じられるのを見聞きすると、「そもそも憲法とは国家権力を縛るためのものにある」といった趣旨にしばしば出くわします。もう少し学識の豊かな方だと、「公権力に一定の制約を加えることこそが近代的な意味での憲法の本義である」などといった形に、憲法の意味を歴史的に限定した上で話されます。これらはごく自然な理解であり、決して間違っているわけではありません。現に、樋口陽一氏や長谷部恭男氏などの権威ある憲法学者による、一般によく読まれている憲法入門書などでは、そういった自由主義≒立憲主義的な憲法理解が説かれています。

しかしながら、そういった立場は、あくまでも特定の意味において「憲法」なる語を解した場合における正統な理解であって、憲法の意味や理解がこの立場に限定されるわけでは、本来ありません。大学の講義で定番の教科書として長年親しまれている芦部信喜『憲法』(第4版、高橋和之補訂、岩波書店、2007年)の冒頭では、憲法の意味が大きく2つに分けられています。大略は次の通りです。



  • (1)形式的意味の憲法…「憲法」という名で呼ばれる成文の法典(憲法典)。「日本国憲法」がこれにあたる。英国のような不文憲法の国には無い。

  • (2)実質的意味の憲法…成文・不文にかかわらず、ある特定の内容によって国家の基礎を定める法。


(2)の実質的意味の憲法に含まれる法文は、憲法典だけには限られません。例えば皇室典範や国会法、教育基本法などのように、果たしている役割によって「国家の基礎」を規定していると解釈されるものは(2)の意味で「憲法」と見做し得るのです。

さらに、実質的意味の憲法は2種類の下位分類を持つとされます。それらを含めると、全体のカテゴリ分けは以下のようになります*1。(1)を含めて全部で3つの意味が登場するので、それぞれに通し記号a~cを振っておきました。



  • (1)形式的意味の憲法――(a)

  • (2)実質的意味の憲法


    • 固有の意味の憲法…時代・地域にかかわりなく普遍的に存在するような、政治権力の組織や行使の仕方を規律することによって、国家の統治の基本を定めた法。――(b)

    • 近代的意味の憲法…専制的な権力を制限して広く国民の権利を保障しようとする自由主義≒立憲主義の思想に基づき、政治権力の組織化そのものよりも権力の制限と人権の保障を重視する。――(c)


既におわかりでしょうが、先に挙げた立場において語られている「憲法」とは、②の意味を指しています。この意味の憲法が成立するのは一般的に「マグナ・カルタ」からであるとされており、憲法学が形成されていくのもそれ以降です。①には例えば、「十七条の憲法」などが含まれます。憲法学の対象が主として②であり、憲法学の議論で「十七条の憲法」が普通扱われないのは、憲法学の成り立ちそのものを支えたのが②の意味の憲法とともに発展してきた自由主義≒立憲主義の考え方だからです。


言うまでもありませんが、樋口氏や長谷部氏などがこの分類を知らないわけではありません。しかし、彼らの著書を読んでとにかく「憲法=国家権力を制約するもの」と覚えた人の中には、「憲法」という語の多義性を意識しない人も多そうです。もちろん、日本国憲法のみならず大日本帝国憲法も②に含まれますが、それはこれらの法典が基本的に②としての機能を果たしているからそう解されているだけであって、別に①と解そうとすることが不可能なわけではありません。つまり、今の憲法は社会的な「事実」として②ですが、それを①の方へと変えていくべきだという「主張」そのものは有り得るわけです。

こうした主張をしていると思われる論者は少なくありません。「憲法」なる語をこのような意味で使うとか、こういう理解で使うべき、などと明示的に述べている人はあまりいませんが、例えば近代主義への反発を軸に議論を構成している西部邁氏などは、明らかに「憲法」という語を非近代的な意味で使っていると思います(私は西部氏の良い読者ではありませんが、数年前に大学院の授業で『ナショナリズムの仁・義』(PHP研究所、2000年)を読んだときにこのことを思いました)。


自由主義≒立憲主義的な意味に限定して「憲法」を考えている人々は、なかなかこの点に思いが至らないようです。憲法に「国民の義務」をもっと盛り込もう、などといった動きとの(「論争」ではなく)「すれ違い」は、ここから生じている部分が大きいと思います。左派的な立場の人々は、「憲法とはそもそも国家を縛るためのものだから」、そういった主張はそもそも憲法とは何かを理解していない、と考えてしまいがちです。けれども、そこで異なる立場を採る側は憲法の意味を理解していないのではなく、実はそもそも別の意味で「憲法」なる語を使用しているのだとしたらどうでしょう。

そもそも憲法学の対象が(c)であるからといって、一つの法典(a)としての日本国憲法の条文についての論争が(c)の意味の憲法理解に縛られる必然性はありません。逆に言えば、(c)の意味の「憲法」を問題にしたいのであれば、必ずしも(a)の意味の「憲法」に拘泥する理由は無いわけです。憲法典以外の法規・方針やそれらについての解釈、及びその他の政治慣行を含む全体としての“constitution”を重視すべきではないか、といった議論は杉田敦先生が提示しているところです(『政治への想像力』(岩波書店、2009年)などの他に、長谷部氏との対談『これが憲法だ!』(朝日新書、2006年)も政治学者による憲法への独特なアプローチが刺激的です)。


相手は憲法の意味も理解していないと考えてしまうと、一方が「馬鹿」だから問題外という話になって生産的な議論には発展しようがありません。それゆえ、憲法についての有意義な論争を望むのであれば、どちらかが「事実」を理解していない「馬鹿」なのではなくて、日本国憲法が果たすべき主たる機能についての異なる「主張」が対立していると考えるべきでしょう。そろそろ、憲法論争が「ネクスト・ステージ」に進むことを期待したいものです。



*1:なお、カテゴリ分け自体はテキストに沿っていますが、各カテゴリの説明については私の理解が含まれていますので、必ずしもテキスト本文と一致しないところがあります。


Friday, April 30, 2010

ポストモダンにおけるデモクラシーの価値――宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』



〈私〉時代のデモクラシー (岩波新書)


吉田徹『二大政党制批判論』や宮本太郎『生活保障』、菅原琢『世論の曲解』など、昨年後半は政治学者の手になる良質の新書が相次いで出版された*1。これを一つの流れとして、併せて読まれるべきなのが本書である。

政治思想史を専門とする宇野重規によって著された本書は、個人の尊重が人々の唯一共通の価値基準となり、「他人と同程度には特別な存在」としての〈私〉の平等が求められる現代を、平等(化)の思想家アレクシ・ド・トクヴィルの思想を手がかりに読み解く。さらに現代フランスの政治哲学の議論なども交えながら、デモクラシーの現代的意味を問うものになっている。

なお著者は、2007年に一般向けのトクヴィル入門書として水準の高い『トクヴィル 平等と不平等の理論家』を著している*2


〈私〉の漂流とデモクラシーの新たな意味



宇野はまず、苅谷剛彦・宮本太郎・佐藤俊樹・城繁幸などの議論を引きながら、現代日本の個人が社会内の中間集団から切り離されている姿を描き出す(第1章)。職域型に「仕切られた生活保障」によって支えられていた戦後日本の「小さな福祉国家」が80年代以降の行財政改革によって解体されてきたことで、過去にヨコの連帯を可能にしてきた「閉じた共同体的空間」は崩壊しつつある。さらに、家族的拘束の薄まりが世代を超えた不平等是正への期待を失わせる一方、長期的な所得再分配機能を含んでいた日本型雇用慣行が破壊されていくことで、若者は世代間格差を強く意識するようになる。このようにタテの結び付きが弱まると、人々はより短期的な境遇を重視するようになり、「いま・この瞬間」の不平等へと意識を鋭敏化させていく。平等への渇望は強まりながらも、それを可能にする連帯はますます困難になっているのだ。

現代の個人が置かれている状況は、近代的原理の帰結としての新たな局面であると言える(第2章)。そもそも福祉国家に代表されるような近代に成立した諸制度は、個人を中間集団から解放し、自立して生きていくことを可能にした一方で、個人が置かれている境遇のほとんど全てを自らの選択と行動の帰結たる「個人の問題」として理解可能にする皮肉な効果も生んだ(「個人化」)。自立≒孤立した個人は、自己を管理することを求められる。個人を社会内に位置=意味付け、拘束すると同時に保護してくれた「閉じた共同体的空間」は既に無い。私たちは、自分自身が「どんな個人」であるのかを自ら解釈・提示し、絶えず自らの行動に自分で意味付けし、自らがさらされるリスクに責任を負わねばならない。少なくとも、そのような強迫に追われる。

かくして現代の〈私〉たちは、中間集団から切り離されて浮遊するだけでなく、自己の意味と針路を求めて漂流する。それは現実政治にも濃い影を落としている(第3章)。古代ギリシアのポリスには私的領域(オイコス)と公的領域(エクレシア)の間を繋ぐ領域として広場(アゴラ)が在ったが、現代にはそれが無い。人々がそこから離れていく中間集団としては、政党も例外ではない。〈私〉と〈公〉を結ぶ伝統的回路が弱まり、大文字の政治が機能を果たせずに信頼を失う中で、〈私〉を直接〈公〉へと短絡させようとする感情のポリティクスが横溢するようになる。

このような現状においては、公共的利益が何であるかを集合的に画定していくプロセスであるとともに、他者との対話の中で〈私〉とは何であるかかを問い直すことのできるプロセスでもあるデモクラシーが、ますます重要になっている。そこでは、平等が実現されるべき〈私たち〉の中身も問い直され得る。したがって、「答えがない」現代であるからこそ、「手続き」としてのデモクラシーの意味は大きくなるばかりなのである(第4章、むすび)。


政治的回路の再整備へ



「政治の意味の回復」のために「政治的回路の再整備」が必要であるとの著者の認識(119頁)には、強く同意する。しかし、その具体的方策は、本書ではほとんど語られていない。デモクラシーの新たな可能性を2008年末の「年越し派遣村」の中に見ようとするのは、率直に言ってあまり説得的でも魅力的でもないだろう。私自身デモクラシーの中にポストモダンの明るい未来を構想する者として、著者が「どのようなデモクラシー」に希望を見ているのかが明確に読み取れなかった点は、少々残念に感じた。

個人的感懐だが、現在は理念のみならず制度にまで貫通するような「理論」が求められているのではないだろうか。それは勿論、かつての「大きな物語」という意味ではなく、人々の一つの選択肢「でしかない」ものの提示として、である。

本書の中でも語られているように(126頁)、少なくとも大嶽秀夫が『日本政治の対立軸』を著した頃から*3、人々の選択肢を構成し得るような一貫した政治的理念を明確にした政治が求められてはきた。現に、政治家が新党を作る際には、誰しも理念の重要性を語る。しかし理念は制度や政策と結び付かなければ、現実に影響を及ぼさない。「大きな政府か小さな政府か」などといった点に限定されることなく、例えば選挙制度や司法制度まで含んで「どのようなデモクラシー」がなぜ選ばれるべきなのかを一体的に説明するような、有り得る複数の社会構成原理の提案が求められていると思うのである。


とはいえ、モダニティの変容とそれに伴う主体のアイデンティティや生の問題を現実政治やデモクラシーと連続的に論じた一般向けの書籍としての本書の価値は、決して小さくない。宇野自身はアンソニー・ギデンズやウルリッヒ・ベックにならって「後期近代」や「再帰的近代」といった言葉を使い、これを「脱近代」とは異なるものとして区別しているが、私はその区別に大きな意味を感じないので、ここでは本書を「ポストモダンにおけるデモクラシーの価値を問い直したもの」として敢えて要約する*4。宮台真司や東浩紀の魅力的な言説に跳び付きがちな若い読者はその飛躍に一定の足場を確保する意味で、他方「ポストモダン」の語だけで警戒姿勢になりがちな慎慮ある読者は流行の社会評論を視野中の適正な位置に収めて捉え直すための媒介項を得る意味で、是非一読されることを薦める。


関連文献



本書で論じられたようなデモクラシーの現代的位置を歴史的に把握するために、森政稔『変貌する民主主義』を強く薦めたい*5。また、現代社会の活路をデモクラシーに見出す立場について詳しく知るなら、一般向けの水準は乗り越えることになるが、田村哲樹『熟議の理由』が必読書だろう*6

政治学者がモダニティの変容についての議論に基づきながらデモクラシーの現代的在り方を問い直した一般向けの書籍としては、同じく岩波新書から2004年に出版された篠原一『市民の政治学』が先行している*7。田村著の主題である熟議/討議デモクラシーについての導入書としても役立つはずである。

また、現代社会における個人の位置について考えるには、直観的に理解しやすいところで岡本裕一朗『モノ・サピエンス』*8、いささか込み入った議論を厭わないなら鈴木謙介『ウェブ社会の思想』が参考になるかと思う*9。前者は消費(者)社会、後者はメディア環境に焦点を当てながら、現在および近未来において個々の主体が置かれる環境について考察を加えている。



二大政党制批判論 もうひとつのデモクラシーへ (光文社新書)


宮本太郎『生活保障――排除しない社会へ』岩波書店(岩波新書)、2009年

生活保障 排除しない社会へ (岩波新書)


菅原琢『世論の曲解――なぜ自民党は大敗したのか』光文社(光文社新書)、2009年

世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか (光文社新書)




トクヴィル 平等と不平等の理論家 (講談社選書メチエ)


トクヴィルについては、「トクヴィル『アメリカのデモクラシー』」「アレクシス・ド・トクヴィル『旧体制と大革命』抜粋」なども参照。



日本政治の対立軸―93年以降の政界再編の中で (中公新書)



*4:「ポスト・モダン」である以上、それは近代の果てに生じてきた諸現象を指して観念されているのだと考える方が自然であり、運動としてのポストモダニズムの印象を引きずって、この語を使用する者が近代とは「まったく別の」何かを描いていると即断するべきでは、今やない(と言うよりも、英語の“modern”が「現代」も意味しているがゆえに“post-modern”なる奇妙な語の使用がためらわれるというのが実態に近いのかもしれない)。私自身は、一定の社会学的根拠に基づいていることが明示されるのであれば、ポストモダンという認識/用語は問題視するに足りないと考えている。そうした社会学的認識の構築をアマチュアながら試行したものとして「現代日本社会研究のための覚え書き」を参照。


変貌する民主主義 (ちくま新書)




熟議の理由―民主主義の政治理論




市民の政治学―討議デモクラシーとは何か (岩波新書)




モノ・サピエンス 物質化・単一化していく人類 (光文社新書)



Thursday, March 25, 2010

リスク社会における公共的決定2――「トンデモ」批判の政治性と政治の未来


今日は少し、色々な文脈を縫い合わせるようなお話をしてみたいと思います。例によって長いですが、ご関心の向きはしばしお付き合い下さい。


Sunday, February 28, 2010

「情報戦時代」の本当の意味――ポスト・ヘゲモニーの時代


「情報戦」などという言葉はチープに響くが、その奥に読み込むことのできる意味は重い。今日は、そういう話をしてみたいと思う。


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