Saturday, June 12, 2010

フランス自由主義の両義的位置――三浦信孝編『自由論の討議空間』




「フランス自由主義」なる言葉遣いは,聞く人を怪訝にさせるかもしれない.まるでそれは語義矛盾であるかのように,「フランス」と「自由主義」が寄り添って私たちの会話の中に座るのは稀な出来事である.「ドイツ」「ロシア」「日本」といった語との距離はそれ自体として測られる必要があるとしても,「自由主義」はいつも「イギリス」と,あるいはやや違った相貌を備えた“Liberalism”として,「アメリカ」の語と同席してきた.対して,「フランス」の語には「自由主義/Liberalism」よりも,「民主主義」や「共和主義」が結び付けられることが常であった.

「フランス・リベラリズムの系譜」を副題に持つ本書は,このように祝福されてこなかった交際について,その馴れ初めと道程を,個々の思想家に即して語ろうとする営みの収穫である(2009年6月6日のシンポジウム「自由主義とは何か?――フランス・リベラリズムの系譜」が本書の基になっている).


自由論の討議空間―フランス・リベラリズムの系譜



フランス自由主義の「再発見」



「序」で三浦信孝が語るように,「フランス政治思想の主流はルソーとフランス革命を起源とし、それから一世紀後の第三共和政期に政体として定着した共和主義であって、自由主義は一九世紀後半から次第に傍系に追いやられ、さらに一世紀後の一九八〇年代からようやく復権の気運にある」.80年代にルイ・ジラール『フランスの自由主義者たち』(1985),アンドレ・ジャルダン『政治的自由主義の歴史』(1985),ピエール・マナン『フランスの自由主義者たち』(1987)などの著作が連続して刊行される以前には,この国では「フランス自由主義という問題設定が、必ずしも共有されていなかった」(宇野重規).それは,既に1970年にはコンスタン,ギゾー,トクヴィルを扱った田中治男『フランス自由主義の生成と展開』を得ていた日本と比べても遅く,この時期までのフランス自由主義の研究は,「リベラリズムを主流とする枠組みに置いて思考する英米圏の研究者」によって主導されていたとされるのである.

「社会主義と共和主義の同盟」が幅を利かせた共和国では,「リベラル」は「社会主義に敵対する反共保守を指す否定的なレッテルだった」(三浦). フランスのリベラルたちは,「他国の自由主義が課題とした近代人の自由についての諸問題の重要ないくつかを、フランス共和国(ルソー的共和主義)に奪われた」(安藤隆穂,強調引用者)のである.80年代の政治状況の中で英米的リベラリズムの視角を内在化したフランスが「フランス自由主義」の伝統を掘り返す際に1つの拠点になったのは,歴史学者フランソワ・フュレが設置したレイモン・アロン政治研究センターである.マルクス主義を「知識人のアヘン」と呼んでサルトルと対決した哲学者の名を冠したこの研究所に籍を置いたマナン,マルセル・ゴーシェ,ピエール・ロザンヴァロンらは,ジャコバン主義と保守反動の間で大革命の遺産――それは「遺産」でなければならない――を正しく引き継ごうとしたフランス自由主義の再評価に,大きな役割を果たした.


自由主義と共和主義――フランスにおける



では,フランス自由主義の何を再評価するのか?川出論文が整理するように,バーリンが強制の不在としての「消極的自由」の擁護者に数えたロックやモンテスキューは,実際には何らかの「法」を前提にした自由を擁護したのであり,「すべての法は自由の侵犯である」とするベンサムとは初めから遠い位置にいた.もちろん,自然法思想の流れに位置して「法のないところには自由もない」と述べるロックにおいても「個人の自由の実現が目的であり、自由な国家はその手段」だったのであり,後にスミス(水田論文),コンドルセ(安藤論文),コンスタン(堤林論文),トクヴィル(宇野論文),そしてJ.S.ミルなどに受け継がれるこの自由主義と,個人の自由を「自由な国家」の副産物と見る共和主義との間には,埋めがたい溝が横たわっている.この点は,自由が前提とする「法」の理解をロックとは異にし,国家的な法が可能にする自由を考えて共和主義的伝統により近づくモンテスキューにおいても,基本的に変わることがない.

「フランス・自由主義」を考えるなら,単にイギリス自由主義のフランスにおける継承を論じても仕様がない.また,思想は常に他の思想との関係の中でその意義を問われるものである以上,「フランス自由主義」について語ることは,「そうではないもの」をも見ることを要請する.「フランス」と民主主義/共和主義との紐帯を揺るぎないものにしている最大の功労者たるルソーが本書でも扱われているのは,必然である.本書の稀有な意義を十全に享受するためにこそ,ルソーとその鬼子たるジャコバン主義への理解は,フランス自由主義全体への評価を規定する磁力を持ち得るものとして,常に振り返られなくてはならない.その意味で,政治思想における永遠の論争点であろう「一般意志」を,差異の討議による総合――「コミュニケーションなき均衡」(東浩紀)ではなく――として描いている川合論文は,必読である.


コンドルセの両義的自由主義



そう書き留めておきつつも,ここでは一般にはなかなか知られることのないコンドルセの思想を扱った安藤論文に触れておきたい.コンドルセは,テュルゴの王政改革に参画し,大革命期にはジロンド派の憲法草案を書いて,ジャコバン派との争闘に敗れて獄死した.彼の思想は,道徳哲学者スミスから引き継いだ「商業社会」を国家と対置させて,政治的自由とは異なる個人の私的自由を擁護した点で,ルソー的共和主義とは異なる.しかし,そうして国家から自律した市場にコミュニケーション空間を見出し,そこにおける市民の討議からこそ「公論」が形成されると考えた点で,シェイエスのように素朴な経済的自由主義――現代のフランス的「リベラル」と結び付けられるそれ――とも区別される.

男女普遍的な教育機会の無償の提供を訴えたコンドルセは,それを通じて社会内に対等な討議空間が創り出され,分業社会における職業人としての近代的市民が,自由を侵されることなく不平等を克服し得るようになることを期待した.彼は,分業社会における知識の専門分化が「職業による貴族」を生み出す危険性を自由への脅威と見なし,こうした寡頭制を生み出さないための公教育の充実こそが,自由な市民を社会内に留めたまま共和国を調和に導く方策であると考えたのである.


このように,職業人としての市民の自律を重視し,その自由が追求されることの肯定を同時に平等の実現に結び付けるとともに,自由な主体たる個々人を市民社会に留めたままでの公共性の可能性を考えたコンドルセの思想は,現代においても大いに示唆を得られるものである.また,彼の立場の両義性こそが,本書全体を貫くテーマである,フランス的な自由主義の在り方を体現しているようにも思える.


自由主義の存在しない国フランス,そして政治理論へ



フランス自由主義は,個人の自由を確かに擁護する立場でありながら,同時に個人の原子化や非国家的な「社会的権力」への恐れをも表明するトクヴィルに見られるように,フランス的文脈に縁取られた独特の姿をしている.本書に「共和主義と政治的近代」と題する章を寄せているアラン・ルノーが,80年代に個人主義論争を巻き起こしたルイ・デュモン(『個人主義論考』1983)やジル・リポヴェツキー(『空虚の時代』1983)をゴーシェ,ロザンヴァロンなどとまとめて「ネオ・トクヴィリアン」と呼んでいることを知るなら,私たちはそれを一般的な自由主義の伝統とは区別して考える必要があると感じるだろう.しばしばアメリカについて,「そもそも社会主義が存在し得なかったが故の,分配的正義を摂取した特殊アメリカ的なLiberalism」が語られる――アメリカには自由主義しか存在しない!――ように,フランスについては「そもそも自由主義が存在し得なかったが故の,個人的自由の擁護を摂取した特殊フランス的な共和主義」を見るべきなの――フランスには共和主義しか存在しない!――かもしれない.


こうした土壌からロールズ以後の現代政治理論を消化するルノーは,消極的自由に偏しがちな自由主義を軌道修正するためにトクヴィルが組み立てた「共和主義的問題設定」を前提としながら,「参加する自由」という共和主義の信条と矛盾せずに自由主義の遺産を受け継ぐために有り得る解決策として,3つの「共和主義的リベラリズム」を挙げる.第一に「個人の道徳化」というルソー的解決であり,第二に個人を文化的共同体に確固として帰属させるテイラー的解決であり,第三に「より参加型でより民主的な政治構造」を以て個人の利益を国家の機能と安定的に結び付ける「政治的な」解決,すなわちハーバーマス的解決である.


共和国とライシテ,そして「政治」へ



フランスに根差した自由主義的な共和主義の立場からアメリカ的なリベラル/コミュニタリアンの諸議論を共和主義的自由主義の問題として再構成するルノーの振る舞いに刻印された共和国の歴史性こそが,あるいは本書のハイライトなのかもしれない.しかしそのことは括弧に入れるとして,第三の解答が「よりリスクの少ない」選択肢であるというルノーの診断に,私は反対しない.とはいえ,彼の国で法治国家における民主的な――疑いも無く民主的な――決定によってムスリム女性からスカーフやブルカが剥ぎ取られた/剥ぎ取られようとするのを見る時,そこで擁護されている「自由」とは何であるのかと,そう問わざるを得ない.


モンテスキューはピョートル1世がロシア人男性に髭を切らせたことを問題視したが,サルコジはフランス人女性に布を脱がせようとしている.そこで実現されるのは果たして,誰のどのような「自由」であるのだろうか.もちろん,「ライシテ(非宗教性/政教分離)」もまた大革命の「遺産」――革命が終わったとすれば――であり,それは国家のリベラルな中立性の要請とも一致する(もっとも,単純化を拒むこの問題については,内藤正典・阪口正二郎編『神の法vs.人の法』(日本評論社,2007年)などを参照).「村の小さな学校の教室に掲げられていた十字架をとりはず」した記憶(工藤庸子『宗教vs.国家』講談社現代新書,2007年)は,今も共和国の隅々に受け継がれているだろう.しかしそれでも,ルノーが「よく理解された個人の利益こそが、法治国家を機能させる唯一のバネになる」と語る時,その「個人」とは一体誰なのか,と反問したくなる.ここに開かれているのは,もはや歴史に刻まれた自由主義や共和主義などの思想の問題には留まらない,端的な「政治」の地平なのである.


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