Saturday, June 16, 2012

政治と理論研究会 第3回例会


要領



  • 日時:6月16日(土)17:00開始

  • 会場:法政大学大学院棟 603教室

  • 報告者:源島穣 (法政大学 修士課程)

  • 報告題名:「国外要因の影響を受けてのイギリス政治の変化――第三の道の導入過程」


記録



  • 参加者:4名

  • 次回予定:7月28日

Monday, June 11, 2012

賢人政治批判のパラドクス――八代尚宏『新自由主義の復権』


八代尚宏『新自由主義の復権――日本経済はなぜ停滞しているのか』(中公新書、2011年)は、経済財政諮問会議などで活躍した著名な経済学者による政治的パンフレットである。その主たる眼目は、「官から民へ」「民間にできることは民間に」をスローガンとした小泉政権期の一連の改革を擁護し、同じ路線を継承した更なる改革を訴えることにある。

著者によれば、近年しばしば「市場原理主義」と同一視され、小泉改革を貫いたイデオロギーとされる「新自由主義(neo-liberalism)」は、必ずしも市場を万能視するものではない。著者によって現代経済学の標準的立場に等しいものとして位置づけ直されたこの考え方は、「政府の失敗」を強く問題視はするが、市場を健全に機能させるためのルールとしての規制の必要性は認めている。新自由主義は、一部集団の特殊権益など多くの非効率を生む過剰な政府介入を、人々のインセンティブを巧みに刺激するような賢い規制へと移し替えることを主張しているのである。

事実認識や議論の進め方について細部に首をひねる箇所は多いが、近年一部で「ネオリベ」と蔑称される立場を敢えて正面から引き受ける姿勢は、その支持・不支持を越えた称賛に足る。平清盛や織田信長を持ち出して「市場主義は日本の伝統」(の少なくとも一つ)と訴える論法に説得されるかはともかく、一つの「原理・原則」を「政策の基礎となる思想」に据えて、多様な政策分野を通観的に論じてみせるその仕方において、著者と対立する論者がどれだけ対抗しえているかと言えば心許ない。

ただし、戦時の統制経済から戦後の自民党型利益分配政治までを日本型社会主義と規定し、それを改革しようとする(著者の言う)新自由主義に抵抗・反対するのは直ちに社会主義(特にソ連型のそれ)に連なる「反市場」的な立場となるかのように描くのは、戯画化のそしりを免れないだろう。巷間の「ネオリベ」批判はわら人形叩きと論評されがちだが、著者はここで逆向きに同じことをしているように見える。市場への政府介入の前提となっている「賢人政治」思想を著者は批判するが、自身が提示する改革は「経済学の基本的な考え方」に基づくものであり、それは経済財政諮問会議のような限られた「決断を示す場」を通じて実現されるべきであると語る著者の姿は、いかにも「賢人」のそれである。

いわゆる新自由主義が、その主張を実現するために強権的な政治を促しがちである(論理的にはズレがある新自由主義と新保守主義の結合理由はしばしばこの点に求められる)ことは、かねてより指摘されている。しかし事の性質は、ひとり新自由主義者に限られるものではない。「イデオロギー対立の終焉」が叫ばれて久しい昨今、政策テクノクラートと化した社会科学者たちのあいだには、「~学の基本的な考え方」に基づく「正しい政策」の合意・実施可能性への希望とそれがなかなか実現しないことへのフラストレーションが、一つの気分として共有されているように思える。「正しい思想に基づく正しい政策を行うことによって社会を良くしよう」という素朴さ(これは戯画化だろうか?)は端的に政治の無理解か軽視だが、「独裁の誘惑」(森政稔)はいつでも賢人たちを訪ねる。

しかし政治は、誰かがバカだから停滞しているわけではない。震災後に「ばらばらになってしまった」(東浩紀)私たちは、それを知っているはずである。


Saturday, June 2, 2012

自主ゼミ #2012-3


  • 文献:アルバート・ハーシュマン [2011]: 『国力と外国貿易の構造』飯田敬輔 (監訳), 勁草書房, 2章.

  • 次回予定:同書,3-4章.

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