Saturday, February 25, 2012

原発・震災勉強会


要領



  • 日時:2月25日(土) 16:00開始

  • 場所:法政大学大学院棟 402B教室

  • 話題提供:


    • G「震災」

    • M「原発」

    • 松尾「政治」


記録



  • 参加者:4名

  • 次回予定:単発

Thursday, February 2, 2012

原発と直接投票――ステークホルダーの観点から


私は政治理論を専攻していて、とりわけ「ステークホルダー」(利害関係者)という概念をテーマにした研究を行っています。企業の意思決定に対するステークホルダーが株主だけでない従業員や消費者、地域社会、環境などを含むように、政治も、法的な権限に根拠づけられないような多様な主体を想定できるのではないか。権利はないが重大な利害関心はある――というように、ステークホルダーという観点を用いることで、デモクラシーの中に存在する様々な「境界線」を問い直すことができるのではないか。大ざっぱに言うと、そうした問題意識から研究をしています。

福島第一原子力発電所の事故とその後の原発をめぐる議論は、まさにこのステークホルダーという観点に多くの対応を持つものでした。風や雨を通じて拡散する放射性物質による汚染は、地理的境界や行政単位の別を飛び越えていきます。原発からどれほど離れようが、どこ/何がどれほど汚染されているか分からなければ、誰がステークホルダーであるのかは確定できません。その範囲は、これまで原発とどのような関係を結んでいたかにかかわりなく、いくらでも拡大していく可能性があるのです。こうした状況を言い表すのに、ステークホルダーという語は極めて適しています。それは法的な権利・義務に限られない多様な利害関係に基づく主体を指すものであり、本来的に範囲が不確実で曖昧な対象を意味するからです。まして、原発の廃炉や使用済み核燃料の処理は、遠い未来にステークホルダーを生み出し続けます。原発や放射能を巡る議論は、時間的・空間的に茫漠と拡がる影響範囲を念頭に置き続けることを私たちに要求するのです。

原発について語ることが帯びるこうした一種茫漠とした性質は、政治における困難をも連れてきます。今や誰もがステークホルダーたり得ることが明らかな以上、「現地の声」を何よりも重視する素朴な「当事者」主義が批判されるべきなのは明らかです(それは首都圏の立場を全てとすることと同程度には馬鹿げています)。しかし、では原発立地自治体での決定過程に「部外者」がどこまで介入することが許されるのかは、容易に結論できる問題ではありません。他方、誰もがステークホルダー「だからこそ」、全ての声を聞くことはできないのであるから、まずは専門家や特定の関係団体による議論を先に置くべきである、との主張も有り得ます。この場合、ステークホルダーの観点は、責任を曖昧な全体に解消しながら既存の秩序を温存するために働きかねません。

本来であれば、ステークホルダーの範囲が広く拡散する問題については、国レベルで一般的・長期的視座からの議論が重ねられるべきでしょう。ですが、周知の通り、現在の日本ではそれは難しい状況にあります。それが、ある特殊な意味におけるステークホルダーとしての側面を持つ政党・国会議員が多いという事情に因るのかは、ここでは問題にしません。議会が頼れないのであれば、どのような手段が有り得るのかを考えるべきです。議会政治・政党政治が原発を語ることが難しいのであれば、議論の舞台は別の形で準備するしかありません。そうした立場から展開されているのが、原発に関する直接投票を求める動きです(「東京「原発」都民投票/大阪「原発」市民投票」を参照)。

しばしば指摘されるように、選挙で候補者や政党に投票することは、パッケージとしての選択です。そこでは異なる様々な分野についての様々な政策が一緒くたに問われますから、個別の政策についての支持・不支持を表現することは事実上できません。単一のイシューを問う直接投票ならば、それが可能になります。議会政治・政党政治の中で表現されない意思を政治に反映させる上で、直接投票は極めて重要な役割を果たせるのです。もちろん、支持・不支持を決定する様々な理由の別は直接投票でも表現できませんが、そうした多様な立場の意思が反映される可能性は、直接投票を控えた社会を舞台とした議論が、どれほど豊かに為されるかにかかっています。直接投票を求める運動は、意思決定の舞台に参加できないステークホルダーたちが、自らに合わせて政治の舞台を新たに構成しようとする政治です。今や誰もがステークホルダーであるとすれば、私たちは既にこの構成的な政治への態度表明を求められていると言えるでしょう。


Share